冷たい雨が交じる様子が続き、少し風も強めで、気温が3℃というような感じの一日だった。冬のようで驚いている。冷涼な当地でも流石に珍しい。積もる状況は未だ免れているが、雪のようなものまで混じっている状態だ。

新幹線の列車が青函トンネルを通って北海道に到達したのは2016年だった。何時の間にか存外に長い期間が経ったのかもしれない。

↓東京から函館への列車に乗車した経過が在った。当時の件を纏めた記事へのリンクだ。
<はやぶさ>…:東京駅(2020.12.27): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

<はやぶさ>の入線:東京駅(2017.11.19): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

函館辺りに到達した新幹線が、次は札幌を目指すということになった時、当初は「2035年頃」という話しだった。それが何時の間にか「2030年頃」という話しになっていた。

「2035年頃」であれ「2030年頃」であれ何れでも構わないが、この話題が耳目に触れた或る方が言っていたのを覚えている。

古くから積み上げられた立派な技術ではあるが、新幹線は今や「最新の」とも言えないのかもしれない。リニア新幹線なるモノが建設されようということになっていて、従前の新幹線の時速250㎞や時速300㎞を遥かに超える、時速500㎞で運転されるという話しではないか。札幌駅に新幹線がやって来る頃には、名古屋駅にリニア新幹線が入っていて、北海道新幹線が「少し大きな出遅れ??」という雰囲気になっているのかもしれない。というような話しだった。

こんなことは、偶々話していた或る方が口にしたというだけのことで、何処かで公に論じられているような事柄でも何でもない。が、既に「次の時代!」という技術が大々的に利用、活用されるという中、如何に優れた確かなモノとは言え、旧い技術を使う大規模な事業を新たに展開することが、喜ばしい事なのか否かは判り悪い。

札幌・東京間に新幹線の列車が運行した場合、例えば殆どの区間で時速300㎞を超えるような速さで運行されて、移動の所要時間が4時間以内程度なのであれば、両地域を移動する人達の相当な割合が列車に乗ると思う。

札幌・東京間、新千歳空港と羽田空港のフライト時間そのものは1時間半程だが、飛行機に乗る迄に空港で小一時間を要し、空港と街中との移動では出発前も到着後も各々に小一時間を要してしまう。移動全般で4時間半という感じになる。上述のように4時間以内で札幌駅と東京駅との間を移動可能になれば、空路より便利になる。

更に言ってしまえば、リニア新幹線の列車が時速500㎞で運行可能なのであれば、札幌・東京間にそれが走ると多分2時間半で移動出来てしまう。が、直ぐに実現可能な訳でもない。とすると、多くの人が手軽に空路を利用出来る状況が確保出来るのであれば、それを護り、更に使い易くするには何が出来るのかを色々と考えるという方が、新幹線の列車を通すよりも現実的で有効なのかもしれない。今や「少し先の街へ向かう列車や高速バス」と大差の無いような感覚で、飛行機を利用している時代なのかもしれないのだから。

新幹線の列車が通っている青函トンネルだが、新幹線以外は専用機関車が牽引する貨物列車の運行が在るだけで、他の旅客列車は運行されていない。

青函トンネルが通った時、「札幌駅を出る列車の行先に、海の向こうの“青森”というのが在った!」というようなことや「上野駅に現れた客車の出入口に“札幌”という行先が掲げられた!」というようなことに感動のようなものを覚えたものだった。現在ではそんなモノは、当然ながら多くの人達の想い出の中で生き続けてはいるであろうが、それはそれとして殆ど忘れられているような感じかもしれない。

電圧や保安機器の都合で、新しい電気機関車が要ると、貨物列車用にそれが用意されたという。同型のモノで全く構わないのだから、旅客列車を動かすために、必要最低限な数の車輌が用意されても悪くはないのではないか?旅客列車に使用することを念頭に機関車が用意されてはいないようだ。誰でも気軽に利用出来るでもない「クルーズトレイン」というのが北海道内に現れる場合が在る。アレは「特殊な貨物」として貨物列車用の機関車で牽引するようにしていか、さもなければ、電圧等の条件に対応可能な新鋭の車輌を用いるのであろう。

そして客車に関しては「車輌の老朽化」ということが取沙汰され続けていたが、20年以上も使えば老朽化するのは判り切っている訳で、それ故に減価償却というような考え方で車輌を更新する備えもする筈だ。が、全く顧みられていなかったのであろう。長く使われた車輌も現在は無い。または何処かで或る種の「保存」というようなことで、全然動いていない。

新幹線の函館・札幌間の開業は「2030年頃」となっていた。正直、当初に「2035年頃」としていた計画を「5年間短縮」というのは、土木技術等に通暁しているのでも何でもないが、普通に考えて「かなり厳しい?」という程度には思っていた。

これというのも「2030年五輪」という話しが在ったからであろう。「五輪が開催される中、新幹線が運行を始める」ということを目論んだ訳だ。そして「2030年に向けて」と札幌駅の辺り等で、「新幹線の…」とでも言えば「何を如何やっても構わないのか?」と「工事中だらけで訳が解らず、バス乗場等は探すのが難しくなっている様子迄見受けられる」というようになってしまっている。

「2030年五輪」という話しは、開催地選定の話しから半ば排除されるような様子になってしまって、2030年もや次の2034年についてまでも「全く見込み無し」となり、「五輪」は雲散霧消である。それでも新幹線の件は継続中だ。

これが最近になって、「工事が酷く難航していて、2030年には間に合わない」となったのだそうだ。長大なトンネルを築くべき箇所に巨大な岩盤が在って、掘り進めることが出来ていないような例も在るというようなことが伝えられている。

「2030年開業」としていたのを「引っ込める」ということにならざるを得ないようだ。「新たな“開業予定時期”」というモノを打ち出すというが、直ぐには決まらないようだ。上述のように、思うように工事が進められないという例が見受けられるようになると、新たな竣工予定時期の設定等、誰が如何いうように考えても直ぐには出来ないのであろう。

「新たな“開業予定時期”」が何時になるのかは判らないが、それ以上に気になることも在る。「新幹線の…」とでも言えば「何を如何やっても構わないのか?」と「工事中だらけで訳が解らず、バス乗場等は探すのが難しくなっている様子迄見受けられる」というようになってしまっている札幌駅辺りの様子は「2030年より後まで引っ張られるのか?」というように懸念している。

大掛かりな建設については、「計画を超える状況が見受けられて工事が難航」というのは在り得ることだ。それ故に竣工予定と謳っていた時期のやや後に竣工というのも在り得るのであろう。そういうことであるのに、当初に「2035年頃」としていた計画を「5年間短縮」で「2030年頃」としたのは、少し無理が在ったのかもしれない。

或いは?当初に打ち出していた「2035年頃」に近い時期に落ち着くのではないかという気がしないでもない。「ド素人の勘」という以上でも以下でもないのだが。凄く思うのは「五輪」という、「夢や浪漫も感じさせるモノ」を持ち出して、「『水戸黄門』の“印籠”を無闇に振り回す」ような真似をして、色々なモノを歪めてしまったのではないか?

「『水戸黄門』の“印籠”を無闇に振り回す」ような真似と言えば、多分「新幹線」も該当するのかもしれない。

一体、何時頃からであろう?新幹線が開業すると「並行在来線」なるモノが指定され、多くの場合、それが従前の会社から切り離されて、新たな会社を起こして運営するように切り替わっている。

そういう訳なのだが、北海道では「並行在来線」を「廃止して代替バス」という話しになっているそうだ。対象となるのは、長万部・小樽間の長大な区間である。全体を見て、利用がやや少ない区間であるとも言える。が、余市・小樽というような区間は利用客が多く、「存続が…」という話題になる所謂“黄色”ではない。

そして聞けば、長万部・小樽間を「廃止して代替バス」という話しが「決まった!」として、辺りで路線バスを運行しているバス会社に向かって「代替バスを運行するように」と依頼したのだそうだ。

依頼されたバス事業者の側だが、現行の路線以外に運航を拡げる余力が在るのでもないのに、不意打ちのように「運行を」と言われても対応困難であるという。バス事業者の側で考えれば、「代替バス」という言い方は妥当ではない。「新規路線開設」を半ば強いられるような面さえ在る筈だ。

余市・小樽間のような一部区間では、現在の列車に溢れるばかりの乗客が見受けられる区間も在るというが、そういう区間の輸送需要に対応する路線バス運行は、恐らく不可能であろうということだ。あの区間は1輌や2輌の列車に乗り切れない乗客が現れる例が見受けられ、キハ201ディーゼルカーという、「ロングシート内装で3輌編成」という「用いることが出来る、最も多く乗客が乗れる車輌」を投入した経過も在るそうだ。「ロングシート内装で3輌編成」という列車に、座席が埋まって立っている人もそこそこに居るような「何となく一杯…」な乗客が乗ったとすれば、バスが4台走っても乗せ切れない数だと見受けられる。バス事業者も「不可能…」としか言えないであろう。

何やら、あの沿線の「年間の予算が100億円というような規模」である次元の小さな自治体が連なっている場所で「維持費に十億円の桁を拠出しますか?」というような「無理…」である話しをして、「廃止して代替バス」という話しを「呑ませる」というような、妙な動きも在ったようだ。

「廃止して代替バス」という話しが既に「在りき」となってしまってはいる。が、「代替」という呼称の「新規」を強いられるような感の事業者が「一寸、それは出来ない…」となればバスは動かない。そうなれば「公共輸送手段を奪われて地域は壊滅的な打撃を被る」という悲惨な末路になってしまわないだろうか?

新幹線には新幹線の、並行在来線には並行在来線の、路線バスには路線バスの、「各々の役目」が在って、それは「各々に尊重」されるべきだ。そういうように、これらのようなモノを先人達は起こし、護り、育んで来た筈なのだ。「代替」等と、安易に連呼してくれるなというように思う。

「代替」と言えば、既に「これは如何いうようになって行く?」という事例が現れていると思う。

鉄道の路線が在った夕張で、「代替」のバスで「より便利になる筈だから」と鉄道を廃止してしまった。そして未だ10年経っていないが、「より便利になる筈」のバス路線の中、夕張・札幌間のバスが廃止という方向になった。乗車数が少な過ぎ、余力が少ないバス事業者が維持困難ということで決めたようだ。実際の廃止まで何ヶ月間か在るようだ。廃止されて暫く経つ時、如何いう様子になるのであろうか?

「代替」のバスで「より便利になる筈だから」と鉄道を廃止してしまうというのは、鉄道という選択肢をアッサリと消してしまうという以上でも以下でもない。バスが対応し難くても鉄道、鉄道が対応し難くてもバスと、「各々の役目」を果たすようにすれば好い。そして「各々の役目」を果たし易いように工夫をすることが肝要な筈だ。

上述の中の青函トンネル関連という話題で「クルーズトレイン」に言及した。あのようなモノが注目されているが、次々と鉄道路線を廃止しているような中、折角に「クルーズトレイン」が北海道で運行となっても「走る場所が??」ということにもなりかねない。「クルーズトレイン」が魅力を持つような、様々な車窓の各地を「一筆書き」で大きく廻るようなことがし悪くなっている。

そして貨物輸送だが、現在は貨物列車が走っていなくても、「櫃よとなれば或る程度は利用可能」という「選択肢」や「可能性」を消すべきではないと思う。新幹線を巡って方々の区間を廃止するようなことになると、貨物列車そのものが動かせなくなるかもしれない。

貨物列車は、現在では「重たいコンテナを専用貨車に載せたモノを連ねる」という方式が主流になっていると思う。少なくとも北海道内では圧倒的多数のように見える。その貨物列車が入り悪い箇所は多く在るであろう。が、少し先に、旅客輸送に使っているような車輌を改装したような、昔の荷物車のような車輌を設えて、然程長くない編成で、例えば旭川・稚内、旭川・北見、帯広・釧路というような感じの地方の都市間での一寸した輸送に対応というのも在り得るように思う。郵便や宅配のようなモノの、モノが少し集積する街から少し先の街へという輸送に利用出来る可能性が残るのではないか?トラックを運転する人が不足すると言われている中、「可能性」は消すべきでもないと思う。

結局、「新幹線」というのに関して「『水戸黄門』の“印籠”を無闇に振り回す」ような真似を重ねているように見える。「新幹線」の前に「控え居ろう!!」で、「各々の役目」が在る様々なモノが、実は粗末にされてしまっているのに「代替」というようなことが「在りき」になる。

偶々、「新幹線」や「五輪」というのに思い至ったのだが、何やら色々な事柄に関して「『水戸黄門』の“印籠”を無闇に振り回す」ような真似が、必要以上に幅を利かせているように見えてならない。

「2030年頃」という話しだった新幹線の札幌開業が延期である。延期の時間を費やし、色々な事柄に関して「再考」でもしてみれば好いというような気もする。