過日、野球の好きな方が甲子園で開催中の選抜高校野球のことを話題にしていた。

雨天による順延が2日連続で生じてしまい、決勝戦迄の日程が多少窮屈になってしまったらしい。春の選抜でも、夏の大会でも、戸外の球場での大会であるので、何年かに1回は天候不順で少し苦労する展開も見受けられる。そういう事情も在って、グランドをメンテナンスする<阪神園芸>の活躍も或る程度知られているということも在る。

今般の選抜高校野球だが、3月30日に勝ち上がった4チームによる準決勝が2試合催され、各試合の勝者が翌31日の決勝戦に出るということになるようだ。多分、予定の範囲で何とか大会を運営出来たのだろう。

あの甲子園球場は、テレビの試合中継等で観ていて「美しい!」というように長く思っていた。凄く観たかったのだが、念願を叶えて訪ねてみたという経過が在った。

甲子園球場は創建以来、何度も改装はしているものの「取壊して建直す」ということはしていないそうだ。数々の出来事の舞台となった“史跡”のようなもので、今日でも更に歴史を積み重ねている場所だ。夕刻にプロ野球の試合を観戦すべく券を入手し、加えて試合前に球場見学と資料館見学を愉しんだ経過であった。更に、朝早くから昼頃迄の強めな雨の後の試合で、グランドメンテナンスでは有名な<阪神園芸>の活躍の様子迄眺めた。

 

因みに、その甲子園球場を訪ねた時の写真が入った記事が在るので、下記にリンクを掲載しておく。

<阪神園芸>…:甲子園球場(2019.06.07): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

バース…掛布…岡田…:<甲子園歴史館>(2019.06.07): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)
早稲田実業VS駒沢大苫小牧…:<甲子園歴史館>(2019.06.07): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)


甲子園球場には最大で4万7千人程度を収容出来るそうだ。高校野球の決勝戦のような場合にはその4万7千人を収容するらしい。プロ野球の試合では一部使わない場所でも在るのか、4万2千人余りを収容するそうだ。

プロ野球の2024年のシーズンは3月29日に始まるようだ。各地の球場で試合が催されるが、甲子園球場がシーズンで初めて使用されるのは4月9日の阪神タイガース対広島カープの試合となるようだ。甲子園球場を本拠地とする阪神タイガースは、東京ドームで開幕で、その次は大阪の京セラドームを使い、神宮球場に行って、漸く甲子園球場に登場である。

プロ野球の試合を開催するような球場は4万人程度の観客を収容するようになっている。最近はそういうのを「凄い…」と思うことが多くなった。自身が住んでいる街は3万人台の人口ということになる。住民登録の人数の他、何かで少し長く滞在している人達を勘案しても3万2千人というような程度になるのだと思う。その全員を、例えば甲子園球場にでも招待して、着席した様子をテレビカメラで撮って、画面を見れば「存外に空席が在る…」という程度に見える筈だ。満席状態に対して7割強の入場という勘定になる訳だ。

甲子園球場を訪ねた際、観戦した試合は確か午後6時半プレーボールで、午後4時頃に中に入って着席可能というようになっていた。が、自身は球場見学に参加すべく午後2時頃を目掛けて甲子園球場へ足を運んだ。その関係で「辺りの交通手段が酷く混み合う」という状態の直撃は免れていた。試合終了の少し後だが、思った程に酷く混み合ったのでもなく少し驚いた。辺りに複数の鉄道路線が通っていて、列車運行頻度も高い。そして各種路線バスも辺りで活躍しているようであるし、自家用車や自転車等を利用する人達も多いのであろう。驚く程に円滑に、甲子園球場を訪ねる何万人が輸送されていた。

こういう「何万人を円滑に運ぶ」というのも、百万人桁の人口を擁する大都市が並び、周辺の街も多くの人口を擁し、加えて甲子園球場を訪ねようと遥々出掛けた自信を含むような人達迄動いている訳だが、そういう実に多くの人達が動く中で発達した手段なのであろう。

そういう程度に考えるのだが、それでも住んでいる街の人口を超えてしまう場合さえ在る「何万人」という人達の動く話しは、何時も少し驚く。

その「何万人」の動きで驚く訳だが、2022年2月に「十数万人」を動かす<特定軍事行動>と号する“軍事侵攻”という報に触れた時は酷く驚いた。「十数万人」の将兵をあらゆる手段で運び、その将兵が押し出して戦端を開いてしまったということになる。

今や「第2次ロシア・ウクライナ戦争」とでも呼ばなければならないような事態は、既に丸2年が過ぎ、「3年目」に入ってしまった。何が如何なっているのか、真実は判り悪い。と言うより、伝えられる情報、伝えられるべく択ばれる情報というモノが在って、飛び交う情報で当該国の中、更に諸外国の世論を誘導しようかと図るような“情報戦”と呼ぶべき動きも交るのだから、益々判り悪い筈だ。

2月中だった。出先で、大学4年生という方と言葉を交わす機会が在った。無事に3月の卒業を待つばかりということになったと聞いたが、大学に入学してからの2年間は、感染症の問題で何やら普通な感じの大学生の暮らしぶりというのでもなく、酷く妙な感じであったというようにも聞いた。近年、こういうような感じ方で時間を過ごしたという方はきっと酷く多かったことであろう。

「2年」というのは、「異状」が「続く期間」としては「少し長過ぎる」かもしれない。「2年」に及ぶ「異状」から抜け出そうとして、暫く経っても「何か違う?」は残るかもしれない。その「抜け出そうとする」という機会を逸してしまうと、何時迄も「異状」から抜け切れなくなり、「異状」の度合いが深まってしまうかもしれない。

「第2次ロシア・ウクライナ戦争」という事態に関しては、「異状」が「続く期間」としては「少し長過ぎる」と個人的には観ている。2014年頃からの「第1次ロシア・ウクライナ戦争」とでも呼ぶべき状況が概ね「8年」も続き、「抜け出そうとする」という機会を逸していた中で「第2次」である。「第2次」は変に「スケールアップ」してしまっている。

或いは「第1次」が行き詰った中で事態を動かす「行動」として「第2次」ということになったのかもしれない。こういうようなことは、多分「後世の史家」が解き明かす、解説するということになるのであろう。そんなことよりも、数千万人もの人達が、「感染症の問題で少し変な感じ」という次元では済まされないような「異状」の中に「2年」も在って、何時迄、何処迄続くのか全く見当が付かないという情況に、少しばかり打ちのめされる。

「何やらロシアが大袈裟に軍隊を押し出した?何なのだ?」という声は聞いた。同時に「ウクライナに入り込んだ」というようなことが「口を突かない」という例にも出くわした。

ハッキリ言えば“ウクライナ”という国名の知名度は、国内では決して高くはなかったと思われる。だが、ウクライナは「小国」でもない面が在る。

欧州の国々で、人口が多いのはドイツ(8千万人)、英国やフランス(6千500万人)、イタリア(6千万人)、スペイン(4千700万人)という辺りが知られる。その次がポーランドやウクライナで、各々4千万人弱だ。ウクライナは人口の多さという意味で、欧州諸国の上位10国に数えられるのだ。そして面積では、ウクライナはフランスやスペイン、スウェーデンやドイツよりも広い。

4千万人弱とされるウクライナの人達は戦禍に晒され、その4割から半数近くが長く住んでいた地元を離れ、「暫定的」という名の下に「相対的に安全」とされる他地域に遷って戻り悪くなってしまっている、または国外に避難しているという。

ウクライナでは、2021年には13万人の新生児が産れたというが、2022年には9万人になったという。子ども達と言えば、日本の小中高校に相当する学校で、2021年頃迄と同様の教育活動が展開出来ているのは3割から4割に留まるらしい。

戦禍による死傷者の数に関して、精確な数字は不明であるが、色々と伝わっている。そういう中、少し驚くのは、四肢(腕や手、脚や足)を損なうという次元の大怪我を負った人の数が5万人にも及ぶらしい。偶々、野球場のことを話題にしていたが、「5万人」となれば収容し切れずに溢れるというような大人数である。

四肢を損なうような次元の負傷の後、確り生きて行く、新たな人生に踏み出すには身近な人達、出逢う人達の支えが必要で、努力をする時間も多く必要な筈だ。そういう人達が5万人も僅か2年の期間で生じた。

ウクライナの社会としては、こういう人達を支えるのはかなり苦しい筈だ。それに加えて、普通に方々に在った“地域”が、人々が居なくならざるを得ない様子、子ども達が産れない様子、児童生徒に関する教育活動が歪められてしまっている様子というように、大きく損ねられてしまっている。

逆に言えば、“地域”が損ねられているような状況下、重い怪我を負ったような人達を支えて行く、人々が皆で手を携え合って生きて行くということそのものが、日を追う毎に難易度を高めてしまっているのではないだろうか。

これに加えて、都市や村落等で著しく破壊されてしまった箇所も目立つようである。ウクライナの歴史の中では、比較的近い時代でも、ロシア革命後の混乱期や第2次大戦期に村落等が破壊され、それを建直して来た経過は見受けられるようだ。「故に、今度の戦争の後も!」と意気込む人達も在るかもしれない。それでも、破壊の程度が酷くなり過ぎていて、何処から如何やって再建を図るのかが決め難い例も、無念の涙を呑んで再建を諦める例が出ないとも限らない。

こういうようなことに想いが及ぶと、「2年」というのは、「異状」が「続く期間」としては「少し長過ぎる」かもしれないと思えるのだ。人々が死傷する、街が破壊されるという戦闘行動そのものが収束したにしても、希望を胸に新たに歩を進めて行く迄に、如何に時間を要してしまうことか。

少し言葉を換える。「第2次ロシア・ウクライナ戦争」という事態が収束したにしても、それは「終わり」ではないように思う。社会が損なわれてしまい、負傷した人達も抱え、破壊されてしまった場所が多々在るという中、「終わり」と同時に、希望を胸に新たに歩を進めることを「始める」ことを考えなければならない筈だ。

そういう意味で、「2年」または「3年目」という「異状」に関して「如何なる?如何する?」を見守り、考え続けなければならないのだと思っている。

野球場のことを思い出していて、数万人が入場すべく動き廻るのが凄いというように考えていて、何か話題が少し逸れて行ったような感ではある。が、常々頭の隅にこのウクライナの件が在って、それ故にこういう感じの話しにもなったのだと思う。

それはそれとして、何時の間にか選抜高校野球の準決勝や決勝で、プロ野球のシーズンも開幕という時季になっていた。そちらの方も、注目したい。