最近は、夕食を愉しんだ後にそれ程の間隔を置くでもなく、眠気に抗い難くなってしまう。

敢えて抗わずに早目に休む。そうすると、深く眠っているらしいが、深夜帯にふと目が開く。

「深夜帯」と言っても幅が在り、日付が変わる少し前から、午前3時前迄という感じだ。御手洗を使う、暖房で室内が乾燥している関係で乾いた喉を少し潤わせるべく水を飲むということをする。小一時間、起きて座っているという場合も在る。やがて再度眠ろうとする。

再度眠ろうとした場合、眠りが深いのか、浅いのかが判り悪い。何やら「不意に再度目覚める」というような場合も在れば、「様々なイメージが頭の中を巡っているような気がする」という場合も在る。何れにしても、全般的には「早寝早起き」な傾向ではある。

「様々なイメージが頭の中を巡っているような気がする」という場合を、「夢を見る」と呼んでいるのかもしれない。その“夢”の中身をハッキリ覚えているのでもない。「深く眠ったような気になっていながら、何か眠りが浅く、頭の中を漫然としたイメージが飛び回っている」という程度に感じるのだ。

その「漫然としたイメージ」という中、何となく記憶の隅に引っ掛かっているのは、「列車の座席に漫然と腰を下ろし、半ば居眠りをしながら移動中」というようなイメージであるように思う。拙宅で眠っている間でも、「気儘に列車に乗って何処かへ出掛ける」というような事を夢想しているのかもしれない。

近年は―「近年」とは呼び難いかもしれない程度に前からかもしれないが…―3月末や4月冒頭に「余計で非生産的な用事」という程の何事かに巻き込まれない限り、「何処かへ桜でも眺めに…」ということをしてみる場合も在る。色々と思い出深い時間が設けられるというものだ。

昨年、4月冒頭にそういう時間を設けることが叶った。関西方面へ出てみたのだった。

昨年は「桜が早い?」という様子で、4月冒頭に「桜は些か散ってしまって…」という様子も見受けられた。他方、足を延ばした長浜は非常に好かった。湖を渡るやや冷たい風が“冷蔵庫”のような役目を果たすらしい、琵琶湖の北寄りの地域である。長浜では桜が非常に美しい様子で見応えが在った。そういうことが強く記憶に残る。

↓記憶に残る、昨年4月3日の滋賀県の長浜の様子である。





今年に関しても、そういうような具合に気儘に出掛けることを想わないでもない。が、今年は4月半ば近くに所用が在って、他地域へ出る予定が既に在る。何となく「出続ける」という感じにもなるので、やや躊躇してしまうという側面が無いでもない。それでも、北海道内で所用の故に他地域に出て、序でに些かの道草で何となく動くというのと、桜を愛でることや、見慣れぬ地域に親しんでみることを念頭にふらりと出掛けるというのは、「物理的に他地域に出る」ということだけは共通ながら、性質は多少異なるというようにも思う。

所用で他地域に出る件は、既に決まっている。出掛ける少し前にでも、移動に利用する列車の券を求めるというようなことをして、必要なモノを抱えて出掛けるというだけである。対して、桜を愛でることや、見慣れぬ地域に親しんでみることを念頭にふらりと出掛けるということに関しては、「頭の隅に希望が在る」という以上のことは何も無い。それでも、「出る!」となった直前に「最低限必要と見受けられる」という程度の準備をして、身軽に出るだけのことで、大きな問題も無いというようには思う。何時も一人で非常に身軽なのだ。

最近は、少し前には「暗い…」となっていた夕刻や早朝の「明るめ…」の時間帯が延びている感じで、季節が着実に動いたというように感じる。それでも中途半端に気温が高下していて、融雪と融雪水やシャーベット状になった雪に凍結というのが細かく繰り返され、戸外では足元が悪い。こういう中、未だこの先も少しばかり降雪という場合も生じるであろう。そんな変化を見守って行くこととなる。

最近の他地域の様子に関しても色々と伝わっている。勿論、地域毎に様々ではあると思うのだが、それはそれとして、梅が盛りを終えているというようなことや、開花が早い酒類の桜が綺麗に咲いているというようなことや、菜の花等が咲いている場所も見受けられることが伝わって、何となく注目したということが在った。そんな報に触れると、当地が未だ0℃を挟むような様子である場合が多い関係も在って、非常に「眩しい」と感じる。そしてその「眩しい」に触れたいという気分にもなる。

こういうことを想っていれば、3月も既に15日だ。3月としては「3回目の金曜日」になってしまっている。