考え事をして、思い付いたことを綴っていれば文字数が意外に嵩むという場合も在るのかもしれない。

「閏年」の「閏日」という、概ね4年に1回の例外的な日を経て、3月を迎えた。その3月1日から丸一週間を経て、3月2回目の金曜日となった。3月8日である。

最近、言葉を交わした方が「多分、小学校の校長先生が言っていたのを覚えている」として「1月…行く…2月…逃げる…3月…去る…」と話題にしていた。4月の新年度を前に、何やら慌ただしい場合も在ることから、年明けの3ヶ月間は時間の経過がやや早いような気がするというのは、随分と以前から余り変わらないのであろう。

そういうようなことも思うのだが、「つい先程」という程度に感じなくもない3月1日から丸一週間が過ぎるのが変に早かったような気もしている。

学生の頃、3月前半頃に国外からやって来ていた皆さんと過ごす経験をした。その際、3月8日に「祝日を御祝い申し上げる」と言っている方、「有難う」と応じている方を御見掛けした。一緒に過ごした皆さんの故国では3月8日は祝日で、官公署や学校等の休業日ともなっているということだった。<国際女性デー>ということだった。

その学生の頃の経験迄、<国際女性デー>というのは意識したことも無かった。「女性の政治的自由と平等のために」という記念日ということなのだそうだ。

この<国際女性デー>というのは、旧ソ連諸国等で祝日になっていて、欧州等の国々で或る程度広く認知されている例も知られているようだ。旧ソ連諸国の一つであるロシアでは「身近な女性の活躍に感謝や敬意を表する日」というような感じになっているようである。これは、恐らく祝日ということにしている国々では、程度の強弱は在っても共通するのであろう。

ロシアでは<国際女性デー>の3月8日辺りは「花屋の書き入れ時」であるという。ロシア辺りは、何かと言えば花束を贈るというようなことが盛んと見受けられるが、この<国際女性デー>には家族、親族、友人に限らず、仕事の上での付き合いと、「手近な女性にとりあえず花を贈る」という慣例が在る。更に「(<国際女性デー>の)祝日を言祝ぎ、御多幸を御祈り申し上げます」というようなカードを添えるというようなこともする。

そういう事情なので、2月の或る日というような時期に、評判の好い花屋や何かで利用している花屋に連絡を取り「3本の花束をX組、5本の花束をX組」という程度に予約をする。逆に言うと、予約でもしておかなければ品薄になって用意し悪くなってしまうのだ。

序に言えば、ロシアでは如何いうのか、「慶事に贈る花束は奇数本数」という習わしだ。一寸した付き合いなら3本、5本、7本で、何やら重要な御祝いというなら15本とか33本という次元の大きく立派なモノを用意する。逆に弔事等の場合は、例えば「2本の花を墓前に供えて黙祷」というような様子になるようだ。

↓ロシアの都市には「24時間営業の花屋」というモノが在る。サハリンのユジノサハリンスクでも見掛けた。
<FLOWERY 24>(2019.02.22): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)

 

↓序ながら、ユジノサハリンスクでは地元に花卉栽培を専らとする温室を運営する会社が在って、出来上がった花が一部の御店で売られているという例も在る。

「温室育ち」…(2019.02.22): MONOCHROME-モノクローム寫眞 (seesaa.net)


過日、御近所の御店でサハリンの音楽家、舞踏家の写真が入ったカードが飾られていたのを見掛けた。何年前であったか?稚内へやって来て公演をしていた彼らの滞在日程の中に「3月8日」が入ったので、「公演への来場者に<国際女性デー>のカードを配ろう」という話しになった。「女性の皆さんに配ろう」という話しの起りだったのだが、「何時も公演を愉しんで頂いている稚内の皆さんに感謝を込め、遠くから稚内へやって来て公演に立寄られた皆さんの想い出に」ということで、公演していたグループの面々は「我々メンバーのカッコいいカード!」と、嬉々として公演会場等の辺りに居合わせた誰にでも配っていた。それの1枚が、御近所の御店に未だ残っている訳だ。カードの登場に絡めて、「公演中の皆さんの故国では<国際女性デー>を大々的に祝うようだ」と御紹介する訳である。

<国際女性デー>というようなことで、何となくロシアのサハリンに関連するようなことを思い出していた。

カードの想い出の、サハリンの音楽家、舞踏家のグループに関しては、何年間にも亘って何度も稚内を訪れて公演を行っていたことから、終いには「稚内のローカルアイドル」という様相を呈していた。当初は「来訪者向けに“サハリンの傍の稚内”を御紹介」というような意図で招いたのだが、地元の老若男女が公演を訪れて愉しむという様子が目立つようにもなった。眼前の海の少し先で、素晴らしい音楽家が活動しているとして親しみ、毎年のように何回も会場を訪れるという子ども達迄見受けられた。こういうようになると、来訪する皆さん等は「サハリンの音楽家が“ローカルアイドル”のようになっている稚内」と、一層強く驚かれることであろう。

こんなような様子だが、2020年2月に急に途切れてしまった。“感染症”の問題の故である。“サハリンの傍の稚内”というのは、何か「半ば“無かったこと”」のようにもなっているかもしれない。

2020年の1年位は、「何やら訳が解らんが、人の動きが停止させられてしまっている。何を如何したものか?」で、色々と停止してしまった。

そして2021年に入って暫く経つ。そうなれば「色々と制限が在るらしいが、こういうことなら出来そう」と「出来る範囲で可能なように何かをやってみる」という考え方が求められるのかもしれない。が、寧ろ「色々と出来ない」と思考が停止したままであるかのような様子が寧ろ目立ったのではないだろうか?制限が在る中でも、過去から積み上げられた様々なことを「何とか続けたいですね」と、関係者の間で“エール交換”というようなことが在っても善かったのかもしれない。そういうことは聞かなかった。

2022年に入り、“感染症”の問題は一定程度落ち着きそうだと見受けられた。が、「ウクライナ侵攻」という様相になり、サハリンを含むロシアとの往来は“感染症”の問題と無関係に制限が拡大してしまった。とにかく「ロシア非難」と拳を振り上げ、ロシアやサハリンと名が付くモノが「気に入らん!」とでもしてみるような様子も在ったかもしれない。

そんな時、複雑な情勢は情勢として、「長く積み上げたモノを如何したいのか?」という“意思表示”を少し早くから示しながら、思うようにはならない中、よく解らないの中でも活動しなければならなかったのではなかろうか?過去から積み上げられたことを「少なくとも粗末にはしない」というような“意思表示”は鍵だったと思う。が、「“非友好国”なる言い方が在るので何も出来ない」と「他所の人達の所為」という言葉も聞こえていたと思う。

“非友好国”なる言い方に関しては、そういう言い方をしている国の中で、彼らのルールの中で勝手に諸外国を分類して呼んでいる「便宜的呼称」のようなモノで、勝手に言わせておけばそれで構わない。多分、日本国内の何処かでも、例えば「〇〇の対象国と非対象国」という程度に諸外国を分類しているような場合が在ると思う。そういうのに過ぎない。「“非友好国”なる言い方が在るので何も出来ない」という言い方が聞こえた時、何かそこに「彼ら程度の分際で我々を悪し様に言ってくれてけしからん」という含意を感じた。が、文字どおりに“非友好”というようなことであれば、「先」に仕掛けたのは何方なのだろうか?こういうのに真面に向き合って、如何なるものでもないというように思う。

比較的最近になって、“サハリンの傍の稚内”ということを打ち出してみるのを捨て去ったのでもないとし、「情勢が落ち着いたら何とか復活」という言葉も聞こえるようにはなった。が、何か「今更言って?」というように感じられなくもない。「情勢が落ち着いたら」は「未だ未だ相当に時間を要する?」という可能性も排除し悪い。或る種の“膠着”が創出されてしまっている感も否めず、情勢が好いように動く迄には相当に時間を要する可能性の方が高いのかもしれない。

2020年の“感染症”の問題の故での地域間交流の「停滞」、「途切れ」だが、2024年時点で既に「通算5年目」である。こうなると、様々な取組に関しては「情勢が落ち着いたら何とか復活」ということでもなく、「半ばゼロから新たに創出」に近い感じになるのではないか。様々なことがとりあえず停まって、過去の好かった取組を再開しようにも「(関係者の中で)仔細不明」、「関係者不在」も増えているように見受けられる。そういう意味で、既に「半ば“無かったこと”」のようになってしまっているかもしれない。

序でに少し思う。ロシアに関連することではなくても、“感染症”に関することで変な影響のようなモノが未だ残っているような気がする場合が在る。「出来る範囲で可能なように何かをやってみる」ということを考える以前に、「出来ない」を挙げ連ねるかのような思考傾向だ。“感染症”の問題が拡がっていた2020年から2022年位の間に、こういうのに覆い尽されて、未だにそれがどんよりと垂れ込めているような気がしないでもない。

3月8日の<国際女性デー>ということで、少し愉しかったことを思い出したが、同時に少し気になることも思い浮かんだ。

この2024年の<国際女性デー>だが、何となく降雪の時間帯が多目であるような気もする日だ。