12月22日は「冬至」なのだそうだ。

稚内の日出時刻は7時9分で、日没時刻は15時52分となり、日が出ている時間は8時間43分だという。逆に言えば15時間17分も暗い時間が占めているということにもなる。

少し気になったので「例えば?」と調べてみた。鹿児島では日出時刻が7時13分で、日没時刻は17時18分となり、日が出ている時間は10時間5分だという。稚内との差は1時間22分にもなる。

こういう「日が出ている時間」というようなことを考えると、日本の国土というモノは「なかなかに広い範囲に拡がっている」というようなことに思い至る。「冬至」や「夏至」のような時季には「日が出ている時間」の地域毎の差異というようなモノが際立つのかもしれない。

こういう様子を知ると、日本国内で採用されている現行の時間帯に対して「マイナス1時間」やら「プラス1時間」、更に「2時間」という程度の“時差”が日本国内で設定されたとしても不自然ではないのかもしれないと、極々個人的には思わないでもない。

「日が出ている時間」という尺度で、「最も暗い?」ということになるのかもしれないが、「冬至」の前日から当地は少し変だと思う程度に雪が降っている。

積雪期に入り込み、雪が降り積もり、それが融けてしまい、また降り積もるというようなことが繰り返され、何時の間にか雪は「居座る」というようになるものだ。今季の場合、「融けた」という後に少な目な雪が辺りに貼り付くような様子だった。それが如何したものか「辺りが…埋まる!?」というような程度に、一晩中降り続いた。朝に戸外の様子を見れば、前日の夕方頃迄の様子と全く異なる様相になっていた訳だ。

「冬至」の前日、朝の時点でタップリと雪が積もって、道路が使い悪くなって各種の交通機関も動かない感じになってしまっていた。が、それでも殆ど1日を通して雪は断続した。出歩けないので「災害事故」で「臨時休業」ということになり、拙宅で過ごしていた。何度か、拙宅の玄関前の雪を除けてみるようなこともしていた。ほんの何十メートルか近所を歩いたが、悪いタイミングで風が強くなり、強力な地吹雪に巻き込まれ、拙宅へ無事に引揚げた時には「全身に雪を吹き付けた??」という様相で、着衣が雪を被って酷く濡れてしまった。

「冬至」の朝に至って、相当に除雪等は進んだ。それでも「あの辺が埋まって出入が困難…」は朝の時点で残ってしまっていた。そして歩道に関しては歩き悪い場所も少々目立つ。前日の「災害事故」という程度の雰囲気は和らいでいるとは思う。が、何か曇りがちで、時々降雪も交り、降雪も少し勢いが在るかもしれない。

↓「冬至」の朝、色々な車輛が登場し、方々で除雪作業が進められた。一気に大量の雪で、なかなかに大変だ。


↓夕刻にバスに乗車し、何となく運転台横の正面が見える席に陣取った。道路の脇に雪が堆くなっている。これも前日の雪で「一気!」にこんなに大量の雪が集まった訳だ…


「冬至」を巡っては「一陽来復」というようなことも言うようだ。「冬至」は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽に還るというのが「一陽来復」の意味合いだという。これは「冬至を境に運が向いてくる」という意味でもあるらしい。運気が上昇するということかもしれない。

季節が巡れば日の長さが変わるように、人の運気のようなモノも、時季毎に色々と変わるという性質なのかもしれない。日頃、それ程に強くは意識しないかもしれないが。

12月22日は「冬至」というようなことに思い至った。「一陽来復」と運気上昇に期待するのも好いのかもしれないが、寧ろ時季を問わずに、「昨日よりも今日…今日よりも明日…明日よりも明後日…」という程度に、「日々少しずつ前進または向上」というようになることを意図していれば、多分それで善いのではなかろうか。そしてそういう心持で居られるということに感謝するというようなことでも出来れば、運気の上昇や下降と余り関係無く、少しばかり心豊かに過ごせるのではないかというような気はする。

結局、「日々、少しでもより心豊かに」ということに尽きてしまうような感を近年は抱くようになったのかもしれない。「冬至」ともなれば、「1年がフェイドアウトへ…」というような気分が高まる。

 

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