<海軍さんの珈琲>を淹れた。早朝である。深く眠っていて、何か頭がスッキリしているかもしれない。

珈琲を淹れる湯を沸かす間に玄関前で戸外の様子を伺った。休んでいた間に雪が降ったらしく、辺りが少し白く染まっていた。前日朝辺りの「少し強風…」という感じは既に落ち着いていたのは好かったが…

昨日のことだ。偶々眼に留めた“星占い”で「ストレスが溜まっているから、何処かで発散した方が好い」というような趣旨の話しになっていて、何やら苦笑いが洩れた。

気儘な独り暮らしで、気が向くままに早寝早起きをし、食事を愉しみ、読書や写真に興じるというような事を「メインコンテンツ」のようにしている暮らしである。“ストレス”は生じ悪い。或いは?“ストレス”のタネのような事柄は「敢えて無視」ということにしているだけなのかもしれない。というのも、そういうことに関わり合っても不快感が高まるばかりで、何も得られない。であれば、とりあえず無視しておいて、「“ストレス”は生じ悪い」という「ことにしておく」という程度で何らの問題も無い筈だ。

漠然とそういう程度に思っているので、「ストレスが溜まっているから、何処かで発散した方が好い」との見立てに苦笑いが洩れた訳だ。

そういう他方、何やら心身に損耗をもたらしてしまうような“ストレス”という程のモノとも言い悪いが、「何か納得し悪いよな…」という程度に想う事柄等は、何時でも在るかもしれない。時にはその「何か納得し悪いよな…」という事柄が少し増えるという場合も在るかもしれない。

或いは“現在”がその「何か納得し悪いよな…」という事柄が、様々な意味で増えている状況下かもしれない。

札幌で、市内商業施設内でパネル展を計画していた大学が在って、それに関して「不測の事態を避ける」等と称して中止してしまったという出来事が在った。パネル展ではロシア文学関係の話題も取り上げられる予定だったというのだ。

そういう「研究成果の一部を紹介するパネル展」にロシア文学関係の話題が在るということに過ぎないモノを「不測の事態を避ける」である。これでは「ロシアの文物」、「ロシアに所縁が在る」、「“ロシア〇〇”と呼ばれている」というような事柄に関して「禁止してしまえ!」とか「止めろ!」とすることを奨励するかのようなものではないか?それ程に数が多いのでもない、ロシア関係の事柄を学ぶことが出来ると謳っている大学で決めたことであるらしい。これが「何か納得し悪いよな…」という事柄になっている。

「それが御自身に如何関係在るのですか?!」とでも問われれば「関係在りません!!」ではある。が、このパネル展の事例のようなことが罷り通り続ければ「ロシアの文物」、「ロシアに所縁が在る」、「“ロシア〇〇”と呼ばれている」というような事柄に関しては「御禁制」か何かのような、オカシイ状態になってしまうような気がしてならないのだ。

世界の国々の歴史を顧みれば、隣国同士で酷い摩擦が生じた惨憺たる経過が在る事例は多いと思われる。互いに隣国である日本とロシアとの間もそういう事例が在ると言い得るであろう。

そういう過去の好くない経過は秘密とか機密情報という程のこともない。知る、学ぶことも出来る。過ぎた過去は動かしようも、変えようも無い。が、そういうモノの上に創る未来は如何とでもなって行く筈で、善隣関係を祈念し、模索しようとすることは悪くはない筈だ。「ロシアの文物」、「ロシアに所縁が在る」、「“ロシア〇〇”と呼ばれている」というような事柄に一寸触れるというのも、大雑把に言えばそういう文脈なのだと思う。勿論、そんな理屈めいたことを論じることでもなく、「偶々出くわして気になった。気に入った」ということで触れるというのも多々在るであろう。

昨今の国際情勢の中、ロシアの軍事行動は批判されるべき行動ということになってしまう。だからと言って、隣国である日本とロシアとの間について、善隣関係を祈念し、模索しようとした「少し前からの経過」にまで遡って「オカシイ!!」と喚き散らすかのような空気が醸成されている最近の様子は、本当に「何か納得し悪いよな…」という事柄だ。

最近は、連日のようにそういう感じの「“影響”なるモノ」を「ツクル」ということを志向するかのような振る舞いが何処となく在るような状態、「謀略めいたモノ」を感じないでもない。

隣国である日本とロシアとの間について、善隣関係を祈念し、模索しようとしても、2020年頃からは世界中を覆い尽した感の感染症の問題により「何をしようにも“様子見”…」であった。

2019年末頃に、例えば「2020年夏に〇〇を予定しよう」ということにしていて、感染症の問題で“様子見”になり、「晩秋や冬に延期?」と思っていたものの、それでも「不可能?」で“様子見”だ。

2020年末頃に、例えば「2021年秋に〇〇を予定しよう」ということにして「今年は何とか…」と思っていれば、感染症の問題で“様子見”が続いた。

2021年末頃に、例えば「2022年こそ!」と期するモノが在ったにしても「如何?」という話しにしかならず、とりあえず感染症の問題で“様子見”が続いて、「予定は未定か…」であったのが、少なくとも2月頃までの様子だった。

この間、「こういうことなら出来る?試してみようか…」という程度の事柄の積み重ねは在ったと思うが、“基調”としては「感染症の問題で“様子見”」が続いて「予定は未定か…」とやや沈滞していた。極個人的には、国際紛争が生じてという事態と無関係に「或いは更にこういう感じが続いてしまう??」と思わないでもなかったが…

そういう、ややしつこく続いていた状況が在った。とりあえずはそれが「更に少し不具合に…」というのが、客観的状況ではないのか?感染症の関係で人々が往来し悪いと、旅客移動経路が細くなっていた所に今般の問題で、色々な事情が折り重なって「手が施せない…」という具合になってしまっている。ロシア国内に居合わせた人達に関して、「混乱が生じているので離れた方が好い…」という話しになって、移動していたものが、途中で移動出来なくなって困っているという事例も既に伝わっているのだから。

結局、戦争のような営為は「居合わせた全ての人間」が不便や危険に晒されるばかりだ。不便が発生する程度は「何とか凌ぐか…」なのかもしれないが、危険だけは「避けたい!」訳だ。人智が及ばない自然災害でもないのだから、速やかに止めるべきであると思う。

ウクライナで、100万人の避難民という話しが、200万人以上という話しにもなっている中、思う頻度が高まっていることが在る。何処の国や地域にも、「病気療養等で動き悪い」、「動けない症状からのリハビリ中で不自由」、「少し高齢になって体力が少々減退」、「長い距離を歩くようなことがキツい」というような条件に該当する方が一定数在る筈だ。そういう方達が危険を避けようとする場合「如何やって助けるのか?」と思うのだ…

戦争のような営為は、投入可能な人員や装備やその他に限りも在って、永遠に続けられるのでもない。何時かは停まる。が、一刻でも早い方が好い筈だ。何やら最近は、長射程で大口径の砲弾を連射可能な禍々しい自走砲のようなモノまで投入されている写真がニュースに出始めている。ここらで停めなければ被害が大きく拡がってしまう…

“ストレス”という程のモノは抱えないようにしているつもりだが、世の中に「何か納得し悪いよな…」という事柄は生じてしまう。そこは免れ悪いのかもしれない。

というようなことを思っていた間に、<海軍さんの珈琲>を満たしていたマグカップが空いた。