<海軍さんの珈琲>を淹れた。愛用の紅いマグカップに注ぎ、静かに啜る。

珈琲に使う湯が沸くのを待つ間、玄関前で戸外の様子を伺った。カラスが妙に元気だった。未だ薄暗い中であったが、色々な方向から、互いに呼び掛けているのか、偶々なのか、カラスの声が聞こえている。時にはカラスの集団による、「出動!」とでも気勢を上げているかのような声まで聞こえた。何やら不思議で、出演者が酷く多い歌劇の録音でも聞いているかのようだった。が、逆に言えば、カラスの声が気になるという程度で、酷く静かな早朝の時間を過ごしていた訳だ。

この週末、札幌駅周辺の店舗の一隅で、市内の大学で準備したパネル展が計画されていたそうだ。

札幌駅の周辺は、多分「北海道内で最も多く人が居る」と言って差し支えないと思う。店舗が入る施設の一隅や、大勢が行き交う通路の壁面等、何かを展示して見せることが可能な場所も多々在る。観光宣伝のようなことで利用される場合も多いが、書画や写真のような作品を発表するような利用や、何かの社会的な活動を紹介しようとするような利用が在ると思う。

「大学によるパネル展」となれば?研究活動を続けている方の成果の一部を紹介する、或いは卒業時季なので卒業論文で取上げたような事柄を成果として発表するという感になるのだろうか?加えて大学そのものを宣伝する意味も帯びるかもしれない。更に会場に出展関係者が控えていて、観ている人が関心を持って話し掛けて、それに応じて言葉を交わすような場面も生じるであろうが、そういうことは経験が浅い研究者や学生達にとっては、なかなか得難い好い経験にもなって将来に活きる筈だ。

こういうのは「在りそうで、余り無かった?」という感で凄く好い事だと思った。「大学による活動」というようなことで、これであれば「多額の費用を投じるという程でもなく、可能な範囲で出来る」ということだと思う。ドンドンやってくれると好いと思った。

が…中止になったらしい。とりあえず延期というようになったようだ。「またアレか?!」と思った。もう3年目だが、感染症の問題で、多少なりとも人が集まる文化活動は何やら「御禁制」でもあるかのような、妙な情況が在って余り愉快でもない。何か今一つ得心し悪い“重点措置”なるモノが延期されている関係かと思った。

しかしそうではなかった…伝わったのは「この会場で展示会を開くことの妥当性を検討したとした上で、“不測の事態が起きるのを避けるためだ”と説明」という話し?意味が解らない!

このパネル展は『疾病とロシア文学』と題され、ロシア文学に取上げられた感染症のような事柄を話題にするというモノだった。名前位は聞いたことが在るような作家の作品で、作家の居た時代や作中で取上げた時代の感染症のようなモノに言及している例が見受けられるらしい。そういう話題を論じ、所謂“ロシア文学”の作品に親しんでみようというようなことだと思う。

もう3年目の感染症の問題である。パネル展の出展者グループに学生が在るなら?学問そのものに勤しむという部分に限っても、仲間や教員と闊達に話し合うような集まりを設け悪いことになったり、興味を覚えた資料に触れるべく図書館のような場所に気軽に出掛けることも叶わず、図書館のような場所は休館を強いられるような場合さえ在り、「学生時代らしい活動」が出来ていない面が在ると思う。だからこそ「最近の感染症の問題のようなことが古くは…」と敢えて話題にして、少しでも学んでみたことを発表しようということであった筈だ。そういうことに想いが巡り、関係者の「無念」に想いが至り、本気で哀しくなった。

「“不測の事態が起きるのを避けるためだ”と説明」だが、「ロシア軍によるウクライナ侵攻が続く中、東京のロシア食品専門店の看板が壊されるなどの事案が起きている」という背景らしい。

最近は何処へ行っても“歩きスマホ”で、辺りをロクに視ないで歩いているような人が大勢居る。自身では「非常に危なっかしいので御遠慮願いたい」と何時も思うのだが…或いはそういう人が街で看板にぶつかる、歩を踏み出した時に蹴飛ばしてしまうということが在って、看板を壊してしまったかもしれない。そういうトラブルのようなモノが在ったとして、「全国ニュース」で取上げられるか?如何でも構わないような、日常の一寸した不運だ。看板がロシア食品専門店のモノであれば「全国ニュース」か?!

そうやって「ロシア関係の何かへの嫌がらせ」というような訳の判らないモノが、「そんな選択肢も在る?」というような刷り込みになってしまっているのではないか?

ロシア文学を学ぶ学生を擁するような大学等では、ロシアの大学等との交流が在る。そして大学が立地している地域などで、ロシアの地域との間に地域間交流をしている、所謂“姉妹都市”というような交流も在る。

こういうのに関して、「止めるべきだ!」という主張が飛び出したが、「?」という声も上がったのだと思う。主張をした所では「ロシアの大学や自治体との交流停止を求めたことについて、様々なご意見をいただきました。確かに行き過ぎたお願いだったかもしれません。ただウクライナの、特に男子学生は今海外に行くことも、学ぶことすらできません。そのことを皆さんに知ってほしかっただけです。ご容赦いただければ幸いです」と昨夜の時点で「訂正」している。「止めるべきだ!」という主張はとりあえず後退はした。

戦争状態に陥り、若い人達が学生として学ぼうというような普通の事について「それどころではない!」となっていることは本当に残念だ。本当に「人の営為で人が生命の危険に晒される」という「避けたい!」という事態だ。それを憂えるのだが、或いはウクライナの人達に加え、ロシアの人達も、他の何処の国々の人達以上に心を痛めている事態なのだと思う。

難しい情況が起こった地域であるからこそ、関連する事柄に関して、関心を寄せる若い人達が在って学ぼうとするのであれば、それは応援するとか見守るということであって、“不測の事態が起きるのを避けるためだ”と妨げる必要等無いであろう。

何やら最近はウクライナでの事態に関連した「“影響”なるモノ」を「ツクル」かのような空気感を感じないでもない。何か気が重い…

カラスの声しか聞こえないような薄暗い状況から、少し明るい感じに転じている。何時の間にか<海軍さんの珈琲>を満たしたマグカップが空いた。とりあえず…休業日の土曜日の朝である。

 

(参考)

札幌大学 ロシア文学のパネル展延期“不測の事態避けるため”|NHK 北海道のニュース