<アラビアの真珠>を淹れた。普段より少し早めな時間帯だ…無理に何時もの時間帯まで休もうとしても苛々してしまうかもしれない。であれば、この京都で求めた気に入ったブレンドを頂きながら寛ぐという程度が好い。紅いマグカップに満たした<アラビアの真珠>の味の加減が実に好い。

直ぐ近所に「拙宅の冷蔵庫の替り」と戯れに呼ぶスーパーマーケットのような店が在る。朝9時から夜9時というような営業で、平日も休日も色々な時間帯に立寄る。昨夕、何気なく立寄った。

店内で、普段は缶やペットボトルの、350mlや500mlの“非アルコール系”の多種多様な飲料が並んでいる辺りは眺めないのだが、昨夕はそこに眼が向いた。大概のモノが「100円で買える」のである。

不意に思い出したのは、遠い学生時代のことだった。当時、350mlの缶の飲料が自販機で100円だったのだが、不意に110円に値上がりした。その後?最近の自販機では120円や130円だ。しかし、メーカーが公称する価格より安い場合も多いスーパーマーケットであっても、現在でも350mlの缶の飲料が「100円で買える」のだ。少し驚いた。

要は「30年も値上がりが無い」という情況が見受けられる訳だ。手近な「値上がり」は余り歓迎されないのかもしれない。が、「30年間も見受けられない?」という状態かも知れないのが日本国内の様子なのかもしれない。

勿論、偶々眼に留めた缶やペットボトルの飲料という限られたモノに関する事柄に過ぎないのだが。結果的に「30年も値上がりが無い」という情況が見受けられていて、好いとか好くないということではなく、「何か異様?」というように感じた。そこに「“安い”を“無理強い”することを延々と続けている」という不気味なモノも感じる。

そんな状態なので「モノの値段がジリジリと上昇する」というような様子は、余り想像し悪いかもしれない。が、諸外国では「30年も値上がりが無い」というような感じは流石に無い筈だ。10年間や15年間で1割位は給与所得が増えるのが諸外国の普通の様子だが、日本国内では全く変わらないか、逆に1割程度減っていたりするらしいからだ。

近所の店が切っ掛けでそんなことを思ったのだが、思うとロシア辺りも「モノの値段がジリジリと上昇する」というような様子が見受けられるのであろうが、最近はその圧力が強まっているらしい。

「ロシア」というのも「日本国内」と全く違う意味で特殊かもしれない。

30年位前のロシア…「凄まじいインフレ」という状態だった。「凄まじい」というのは?モノの値段が「1→10→100→1000」と「桁!」の単位で上がる様子が見受けられたのだ。

1993年から1994年、このロシアの「凄まじいインフレ」という状態の片鱗を、自身はモスクワで実見した。9月の或る日、1000ルーブル紙幣を手に辺りを動き回り、軽食を摂って滞在先にゆったりと引揚げた。12月の或る日、同じことをしようとすれば5000ルーブル紙幣を手にしていなければ、安心出来なかった。その辺の色々なモノの値段が「X倍」になってしまっていたのだ。何カ月間かの間にである。後にも先にも、自身としてはこういう例は知らない…

30年位前のロシア…1990年代の前半辺りは「桁!」の価格上昇や「X倍!」の価格上昇が「何時の間にか…」という様子が続いた。何時の間にやら「100000ルーブル」というような紙幣まで登場していた。(この紙幣は、現在では「少し旧い時期の歴史を伝える遺物」という扱いだ…出回っていた頃に物心付く前だったと見受けられる世代のロシアの方に「昔はこういうのが在った」とモノを見せると、先方は本気で驚いていた…)そして1990年代末の辺りにデノミネーションの実施で、「100000ルーブル」の紙幣を「100ルーブル」の紙幣に改めるということになった。

やがて20年位前から「凄まじいインフレ」というのは落着いた。が、今度は「経済発展」というような局面に至り、そういう中でモノの値段は少しずつ上がった。また1990年代より以前は「社会主義経済」で、モノやサービスの価格を「計画」によって決定していた訳だが、それらが「過去の遺制」と化した中で、人々の色々な金銭的負担の様子が変わり続けていた。

比較的近年のロシアは、人々の金銭的負担の様子が、「過去の遺制」を「現行制度」にして行こうとするかのような動きで少しずつ変わって行く中ではあるが、「何となく眼に留まるその辺のモノやサービス」については「気になる大きな変化」という程の事に気付き悪いという感じだったかもしれない。

それが今年辺りは「諸般の情勢」の影響で「ジワジワと値上がり?」ということになっていたらしい。その傾向だが、直近の情勢によって「更に強まる?」という情況らしい。

というのは、とうとう「軍事行動」という中立的表現が見受けられるのは露語メディアだけになった「侵略」という情況の、ウクライナの問題の故である。

所謂「制裁」が金融関係を「最大の的」のようにしたことで、ロシアの通貨流動性が損なわれようとしていて、「侵略」という情況が前週に出来してしまい、週末にその「金融関係を的にした制裁」という動きが出て、週明けに「(ロシア通貨)ルーブルの対米国ドルのレート」が「概ね30%下落」ということになってしまった。半年間や1年間というような期間での動きではない。異なる通貨を替える際のレートでは、半年間や1年間というような期間であるなら、2割や3割の変動幅は在り得る。「一夜に3割安」は「流石に考え悪い」という次元だ。

「制裁」が金融関係を「最大の的」のようにしたことで、既に通常では「流石に考え悪い」という次元の動きも発生しているので、端的には「ジワジワと値上がり?」というような「社会の中での視え易い諸般の経済活動」にも何やら在る状態が続いてしまうであろう。

現在の世界は「昔」では考え悪い程度に様々な国や地域が経済活動の上で結び付いているものだと思う。そういうことを思う時、現下の情況が「余り長く続く」と“制裁対象”ではない方々で「変な影響」が発生してしまうかもしれない。

「変な影響」?“制裁対象”のロシアに資金が入り悪くなると同時に、ロシアの企業等に対しての債権を有する他国の企業等が「回収困難」な状態になってしまうかもしれない。そうなれば?寧ろ「“制裁対象”ではない」ということになっている側に「より大きなダメージ」という場合も生じ得るのではないか?

「好くないこと」をやらかしているのを「止めろ!直ぐに!」ということで、「拳を振り上げる」という場合も在るであろう。だからと言って、長く続けた先方との良好な関係や、良好な関係の構築を目指した諸々の活動を何時までも妨げて好いということにもならないと思う。現下の情況が「余り長く続く」とその辺を「オカシイ」という様子にしてしまうばかりにならないとも限らない。

「既に」とすべきか、「未だ」とすべきか?とうとう「軍事行動」という中立的表現が見受けられるのは露語メディアだけになった「侵略」という情況の、ウクライナの問題が先鋭化してから概ね一週間だ。様子は注視しなければなるまい。

本当に、「小さな子どもを連れてトボトボと避難のために移動をしている人達」やら「“相対的に安全”と冷たい地下鉄駅構内のコンクリートの床で肩を寄せ合って震えながら夜を過ごす人達」というような様子、「被弾した住宅の辺りで言葉を失っているような人達」というような状況には胸が締め付けられる。そこは本当に「一刻も早く何とかしてくれ!」というように思う。だからと言って、長く続けた先方との良好な関係や、良好な関係の構築を目指した諸々の活動を何時までも妨げて好いということにもならないとは思っているし、今般の事情に起因する「変な遺恨」も好ましくないようにも思う。

想い巡らせた中で<アラビアの真珠>を満たしたマグカップは空いた。早く起き過ぎた。場合によっては、平日の平素の活動に差障りが生じない程度の時間帯まで一寝入りするというのも「在り」かもしれない。夜遅くにさっと雪が降ったようで、氷点下3℃程度だが、穏やかな、未だ暗い、過ぎる程度に静かな早朝である。