黒いタンブラーに<SARUSAWA>を満たした。あの豆を求めた奈良の店のロゴマークが入ったタンブラーだ。同じ型のタンブラーを利尻でも求めているが、求める切っ掛けとなったのは奈良の店で出くわしたモノが好かったからでもあった。

そのタンブラーを傾け、程好い苦味が心地好いブレンドを愉しんでいる。昨夕は、例によって何時の間にか眠ってしまった。一旦、微妙な時間帯に眼を開けたが、また眠った。或いはその眠りは相対的に浅目であったのかもしれないが。そしてまた早朝から起き出して、気に入っている珈琲を淹れた訳だ。

居室内の暖房が程好い感じだ。「休日明け」だった昨日の早朝は、休日に暖房を普段よりも長めな時間に亘って稼働させていた故か、「やや…暑い?」と思ってしまった場面が在った。今朝はそれを免れている。「慣れた感じ」というのか、「普段の調子」というのか、そういう「馴染み切ったやり方」が在って、それを大きく外さなければ何やら「少し?」ということにはなり悪いものだと思う。

自身の居室での暖房の使い方ということで、「馴染み切ったやり方」というようなことを持ち出した。近年は、色々な事柄でその「馴染み切ったやり方」とでもいうような事柄が揺らいでいるのかもしれないと思う場合が在る。

最近は「人が集まるのが好くない?」と、矢鱈と“オンライン”である。「馴染み切ったやり方」というようなモノが最も揺らいでいる分野かもしれない。

が、その種のモノに触れて時々思う場合が在る。何かの事案に関して、複数の関係者が在るなら、事案に関して詳しく判り易く書き綴ったモノでも送付し、熟読の上で「拝読しましたがXページのX番の項目に関して…」という程度に意見を返信し、その返信を受けて「それですか?それは…」と再返信して、そういうのを重ねて行けば確りとした合意形成が出来るのではないだろうか?“オンライン”なる“方法”が何やら突出し、「会合は何を目指す?」が置き去りになっていないであろうか?

“合意形成”を目指すなら、書面でやり取りをする方が確実であると思う。「意向を質したい」という程度なら、電話でゆっくり話せば用事は足りる。“オンライン”なる“方法”は、多分「講演会的なモノ」には適していると思うのだが、そういう事柄以外では「手間が要る割には効率的でもないのでは?確実な結果は得悪いのでは?」と思う場合も在る。最近は「“オンライン”なら何処かへ行く旅費が要らないから、可能な限りは何でも“オンライン”で会合とすべきだ」というような声も聞こえるような気がする。そうやって要らなくなる旅費?1件数万円以内という範囲である場合が多数派であるような気がするが、そういうモノを冗費呼ばわれする他方で、随分と纏まった資金を何かに投じるという話しが出て来て「何なんだ?」と思う場合も無いではない。

“オンライン”なる“方法”は「人が集まるのが好くない?」という中、児童生徒から学生までの教育分野で随分と幅を利かせるようになったのかもしれない。

最近、当地では荒天の程度が酷く、「“日常”を諦めて“休眠”…」という情況に陥ってしまった。実は対岸のサハリンでもそういう状態になっていた様子が報じられていたが、その中で気になったことが在った。「児童生徒は“オンライン”の授業」と伝わっていたのだ。荒天で学校を休校とせざるを得ない場合は稀―シーズンによっては何回かに及ぶかもしれないが…―に生じる。そういう場合「無理に学校へ行こうとすると危なっかしいので、とりあえず休み」で済むのだが、“オンライン”なる“方法”が或る程度定着した中「止むを得ずに学校へ行けない?では“オンライン”…」となる訳だ。児童生徒はその“オンライン”で学校の先生と繋がればとりあえず善い訳だと思う。先生の側は「急に?!何を如何しよう…」と随分と思案していたのではないだろうか?

そんなことを思ったが、荒天は落着いている。昨日は、些か気温が下って、少しばかりの降雪と、やや風が強めに感じられたという時間帯は見受けられた。が「冬の日とはこういう具合」という範囲に収まっていたような気がする。中途半端な気温でテカテカに凍った箇所が、新たな降雪で少し落ち着いたという程度かもしれない。

冬季、居室で暖房を使って長閑に過ごしているのだが、そういう情況に居られるということ自体に感謝すべきなのかもしれない。そんなことも時々思う。

そう思いながら、とりあえず残っている<SARUSAWA>を空けながら寛ぎたい…