読書2023年19冊目『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 | CHARLIE’S X ~Planet of the 'GODS'~

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アマチュア小説家(キャリアover30年 眉村卓先生、牧野修先生に師事)、リハビリ人(字が書けないけど身体障害者でもない about20年)、気象予報士(免取(^_^;)v)、占い師(吉田佳代名義 易学・四柱推命)

DO ANDROIDES DREAM OF ELECTRIC SHEEP? 1968年 Philip K. Dick
1969年早川書房 単行本 ⇒ 1977年文庫化 ⇒ 2015年71刷!
翻訳;朝倉久志先生
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 

 この本を読むのは2度目です。ココ 初めて読んだときの記事。(2015年05月16日)
 このときは眉村卓先生から直々に貸して頂いたのでした。前の記事にはお借りした本(単行本?)の表紙の写真を載せていますが、今わたしのスマホのマイクロSDカードの中で、そのデータは破損してしまっています。こういうことがあるので、イマイチわたしはデジタルを信用しきれないところがあるのですよね。
 なので、↓ 同じときに眉村先生からお借りした、同じくディックの本の写真を載せておきます。ただの飾り、賑やかしです。

 
 前回の記事にもざっと目を通しました。翻訳をされたかたは同じかたでしたが、「薄っぺらいなぁー」と苦笑しました。たぶん、全然理解できていなかったんだと思います。今回も理解しきることはできませんでしたから。
 今回読んだ文庫本の訳者あとがきに、単行本を文庫化するに当たって表現を改めたようなことが書かれてありました。なので前回の感想文で使われている単語(作中の専門用語)は、今回読んだものとは違っているようでした。
 
 とても不思議な話でした、というのが素直な感想。
 どう不思議なのかというと……。
 正直タイクツで小難しくて、「未来」の設定であるのでimageはとてもしにくいし、例えば病院の待ち時間に待合室で読んで、途中で読むのをやめて。「続きがめちゃめちゃ気になる!」というほどでもないのに、じわじわと、なーんとなく、読まないと気になる。地味に気になるのですよ、前半。たぶんそれはタイトルに起因してるんじゃないかなあと考えました。タイトルの「アンドロイド」「電気羊」ということばが別々に、それでも随所に散りばめられていて、この先この2つがどうつながって結末を迎えるのかな? そして主人公の1人で電気羊を所有しているリックは、そのためにどんなことをするのかな? という想像力が、地味ーに心の中で脈打っていたように思います。
(注;「未来」とカッコを付けたのは、本作が創られた時点から未来に当たる1992年が舞台だからです)
 でもやはり後半は、読むのが止(と)められなくなりました! たぶん前回に読んだときよりも理解は深まったと思います。わたしは主人公の1人であるジョン・R・イジドアの素直さに深く感情移入をしました。もう1人の主人公であるリック・デッカードは、なんかだいぶカッコを付けているみたいで、ナルシストっぽく感じられてあんまし好きにはなれませんでした。でも彼の苦悩はなんとか理解できたし……この小説では「戦い」があるのですが、リックが「戦い」に負けるのはイヤだなあとか、彼はこの先どうするんやろうということは、本を読み終えたあとでも想像します。
 この話。文庫本のかなり大きめな字で320ページまでありますが、丸1日のお話です。読み終えたあと、特に戦い続け振り回され続けたリックに対して、
「タフやなあ! 体力的にも精神的にも……」
 と、感心しました。1日のあいだであんなにたくさんの人たちと出会い、疑い、信じ、愛し、殺し……わたしやったら神経がもたんワ! と思います(^_^;)
 
 あとがきで、この作品では「全てがメタファーである」と書かれていました。
メタファー
 村上春樹先生の作品、特に『海辺のカフカ』ではよく出て来ることばですよね。春樹先生もディックの影響を受けているとかいないとか。
 わたしはアメリカのSFドラマシリーズ『スター・トレック』が大好きです。そのドラマシリーズの創始者であるジーン・ロッデンベリーも、「SFはメタファーだ」というようなことをコメントしていたと記憶していますが、違うかもしれません。
 でもわたしも実際今回この小説を読んだとき、ジーン・ロッデンベリーのことばを思い浮かべました。
 
 前回この本を読んだ頃は眉村卓先生の文章教室へ通っていました。この本を読み終えたことを同じ講座に通っているアニさんへ話したところ、
「あの話、わかった?」
 と尋ねられたことを(珍しく)よく覚えています。
 わたしは改めてそう尋ねられて初めて自分の心の奥を覗き見て、
「たぶんわかったと思う」
 と答えました。そのこともよく覚えています。
 が。
 全然わかってなかったんだろうなあと思います(^_^;) たぶん、わかっていないことさえわかっていない状態だったんだと思います。だって、今回だってわかんなかったですもん!
 
 なので、また読みます! 「また読みたい」と感じるのは、またジョンに会いたいし、リックはそうでもないけど(苦笑)、レイチェルという蠱惑的な女性が登場するのですが、彼女ともまた会いたいです。マーサーにもまた会いたいですね。彼の正体。作中で明かされているのですが、どうやら額面どおりには受け止められないような仕掛け、或いはからくりが秘められているみたいなんですよね。それがさっぱり読み込めませんでした。
 なので、「また挑みます」といったところでしょうか。
 
蛇足;
 件のアニさんから、映画『ブレードランナー』の原作やでということも教えてもらっています。最近NetflixとAmazonPrimeビデオとを観ることができるようになったので探してみようかな……でも映像作品はどうも英米ものには抵抗があるんですよねえ……つい台湾のものを選んでしまっています。わたしが観ることのできるサブスクリプションには、わたしの好きなイタリア作品がとても少ない! わたしの好きなイタリアやフランスの作品は、ハナから「性愛」をテーマにしているものが多いので、そういう気持ちで観始めればいいのですが、アメリカ作品はホラー作品の中でも妙に本題から外れたところで生々しい性的接触があって、なんか恐怖の感覚から引き離されてしまうように感じられるんですよね。台湾のホラー映画『哭悲(こくひ)』というのを観ました。あれは感染症によってヒトの本能が剝き出しになる話でした。なので感染した人たち同士が所かまわず交わる場面がかなり多かったのですが、そういうのんなら恐怖から引き離されることはないんですよ、という言い訳(^_^;) 最近自分の書くものもエログロのものが多いので、参考にします、はい。