多磨霊園(8)  向田邦子 | ミリタリーイベント

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多磨霊園(8)  向田邦子

 

向田 邦子(むこうだ くにこ 1929年(昭和4年)11月28日 - 1981年(昭和56年)8月22日)
テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞を受賞。
実践女専国語科を卒業後、映画雑誌の記者を経て、ラジオ・テレビの台本・脚本を書く。
『七人の孫』『寺内貫太郎一家』等、自分の実感をもとに庶民の生活を温かくかつその暗部をも描いて「ホームドラマの旗手」といわれた。

1980年、短編連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(後に作品集『思い出トランプ』に所収)で直木賞受賞。ホームドラマ作品の脚本家として現在も知名度は高く、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』など多数。

1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。享年51。
42歳の時から世界一周をはじめ、後年は海外旅行が多かった。'81.8.22午後10時過ぎ、台北発高雄行き台湾・遠東航空ボーイング737型機が突如空中分解し墜落(遠東航空103便墜落事故)、日本人18名を含む乗員乗客110名全員死亡。 

事故原因は機体腹部のアルミ合金の腐食と判明。
精力的に海外旅行をしていたが、実は飛行機嫌いだった。
1981年5月に「ヒコーキ」(『霊長類ヒト科動物図鑑』)というエッセイで、「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない」と書き、あまり片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出ると述懐していた。
しかしながら、験担ぎも虚しくこの僅か3か月後には飛行機事故で命を落とすこととなった。

                                                                                           (Wiki@edia)

 

墓所右側に本を開いた形の墓誌碑がある。 
右面には森繁久弥の挽歌「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る  久弥」、
左面には「俗名向田邦子 1981年8月22日没 主な著書に 父の詫び状 眠る盃 あうん 思い出トランプ等がある。
1980年第八十三回直木賞受賞」と刻まれている。 
墓誌碑の裏面は、森繁久弥の挽歌の裏面に「森繁久弥 出」と自筆のサインが、略歴の裏面には「1983年11月 向田保雄 建之」と刻まれている。