第2話
天では、チャールズ・スミスは神様の所に行った。
「神様、天に住んでる野球選手が、地上の野球場へ行って野球をするって提案がありました。地上に住んでる人たちも、直接野球を見たいだろうし。」
「チャールズ・スミス、あなたも、野球のファンなのですか。」
「知人からの提案です。」
「では、今まで通り、天からの野球中継をテレビで地上へ放送する事に加えて、地上の野球場へ野球をしに行くって事も、これからは考えて行こう。」
「でも、地上に住んでる人が、地上に野球場をつくるって、そもそも天から野球選手を招くって前提だったのだろうか。」
「地上に住んでる人たちが自分たちで野球するためにつくったのかも知れない。」
地上の旅館にはコウタが泊っている。
「明日はどんな動画を撮影しようかな。あの人、クラスメイトのタカシやったんかな。長い間会ってないし、人は長い間会ってなかったら容姿が変わるし、新しい天地がつくられる時、いつの姿で復活したんかもわからん。あの人がクラスメイトのタカシやったとして、学校に通ってた頃の姿で復活してたら、クラスメイトのタカシって気づいたかもわからん。」
コウタはテレビをつけた。天の野球場で野球をしているのが映っている。
「今日の試合は、どの球団とどの球団の試合やろ。タカヤの球団ではなさそう。」
客席は満席というわけではない。かなりスカスカである。
「野球場って、天に住んでる人数の5人に1人から4人に1人くらいの人数にあたる人数が入れるから、天に住んでる人の中から野球を見たい人を集めたら、そりゃスカスカになるわ。地上に住んでる人は、かなり多くの人数やから、地上に住んでる人の中から野球を見たいって人を集めたら、満席になるはず。」
コウタはパソコンの電源を入れた。You Tubeを開き、コウタと検索した。動画をクリックすると、コウタが映っている。動画の中でコウタがいる所の背景にはダイヤモンドの再生ボタンがある。
高い金色の壁へ歩いている2人は。
「壁まであとどれくらい?」
「まだまだけっこうありそう。」
誰かがいる。
「タカシくん、こんにちは。」
「マユカさんも、壁の調査?」
「壁って、遠くにある高い金色の壁の事?」
「壁の向こうってどうなってるんだろうって思って。」
「壁には門がいくつかあるよ。常に開いてるから、いつでも向こうへ行ける。」
マユカは絵を描き、タカシに見せた。
「これが、今わかってる壁の姿。今わかってる範囲では、壁の形はまっすぐに伸びてる。途中曲がってるのを見た事ない。どこまで続いてるんか知らんけど。壁には門がある。」
「門の向こうはどうなってんの?」
「門の向こう、あんまり遠くまで行った事ないから、詳しくはわからん。でも、壁に向かって伸びてる川は、壁の向こうにも続いてた。川はまっすぐ伸びてた。どこまで続いてるんか知らんけど。」
コウタが泊る旅館では、コウタは部屋にいる。部屋から出た。歩き、別の部屋へ行った。そこには人々が集まっていて、食べ物が並んでいる。コウタの隣に座った人はコウタに言った。
「これって、昔の人が夕食って呼んでたものだよね。」
「事実夕食やん。」
「夜がない世界って聞いて、昔、どうゆう世界を想像した?」
「夜がない世界は想像できなかった。夜そのものがないんじゃなくて、何かを夜に例えて、夜がないって言ってるんじゃないかな。夜そのものはあるけど。そう考えてた。実際には、夜はあってもかまわない。」
「まっ、事実、夕食はあるんやし。」
数時間後、もしかしたらもう少し後かも知れない。旅館の部屋でコウタは、ふとんから起きた。コウタは部屋を出て、タカヤの部屋を訪れた。
「ぼくら、天で生活してて、地上へ来る時、はじめて見る人、多くない?」
「ぼくらみたいに天で生活してる人でも、はじめて見る人がほとんどやで。天へ来た時はそうやった。地上に住んでる人も、地上へ来た時は、はじめて見る人が多いで。」
「昔、新しい天と新しい地上がつくられる前、昔の地上で、ぼく、あなたを見た事ある。」
「証人教でやったかな?盛門教(もりかどきょう)でやったかな、確か、どっちかで会った事あるわ。」
「ぼくとおんなじ学校やったで。グラウンドで野球やってるん見た事あるわ。」
「ぼくらはもともと、お互いに見た事ある者同士。今の世界は誰で構成されるかは、昔は想像するのが難しかった。救われた人は、ぼくらみたいに天に住む人と、地上に住む人にわかれる。天に救われる人と地上に救われる人がいる。それは昔から言われてた。でも、誰が救われるかって事は、神様が決める事で、もちろん自分は救われるようにって人々は祈るけど、自分以外の救われる人を想像するには限度があった。」
「多くの人は地上での希望を持ってた。誰が救われるかは神様が決める事やけど、人々は、自分は救われるように祈ってた。天か地かのどちらかに救われるようにって祈ってた。天にとも地上にとも、自分からは指定せずに、自分は救われるようにって、多くの人は祈ってた。」