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ピンキーとキラーズ

1968年から1972年にかけて活動したボサ・ノヴァバンド

 

1968年結成のボサノバ・グループ。前年の1967年に15歳で「甘ったれたいの」でビクターレコードからソロ歌手としてデビューした今陽子(ピンキー)がキングレコードに移籍し、男性ボーカルのジョージ浜野、エンディ山口、ルイス高野、パンチョ加賀美の4人と結成。グループ名は、当時アメリカで流行っていた男女混合バンド「スパンキー&アワ・ギャング」をもじったもので、作曲家のいずみたくが命名した

山高帽にステッキという衣装をトレードマークにしており、当時の邦楽界では男性たちに混じって女性ボーカルがいるグループは目新しかった

デビュー盤『恋の季節』のライナーノーツには『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていた。

 

デビュー曲の「恋の季節」は発売直後からヒットを記録し、オリコンで17週間1位(歴代最高記録)となるミリオンセラーを記録し、270万枚を売り上げ、「第10回日本レコード大賞新人賞」を始め、数々の新人賞を受賞し、第19回NHK紅白歌合戦では男女混成グループとして初の出場を果たした。また1969年2月、同名映画が彼ら主演のもとに松竹にて製作され、公開された。

1969年1月、4枚目のシングル「涙の季節」が発売され1位になり、続く「七色のしあわせ」が4位、「星空のロマンス」が10位とオリコンのトップ10に入ったが、それ以降トップ10からは遠ざかった。

1972年2月に今陽子がソロに転向し脱退。一方、キラーズは2人組の女性ヴォーカル(ラブリーズ)を加え、ニュー・キラーズとして再スタートするが、1974年3月、解散

 

「ナショナルパナソニックテレビ パナパナ」「ナショナル冷凍冷蔵庫」(松下電器)などのCMに出演し、CMソングを歌っていたこともある。

その後、懐メロ番組(NHK『思い出のメロディー』やテレビ東京『にっぽんの歌』等)への出演のために単発で再結成する事があったが、キラーズは全員がオリジナルメンバーだったかは不詳である。『今陽子とキラーズ』とクレジットされた事もあった。

2008年7月30日、今陽子の脱退以来、36年ぶりにオリジナルメンバーでピンキーとキラーズが再結成することになった。今陽子の芸能生活40周年記念ディナーショーにメンバーが集結する形で登場

グループ結成と解散について

今陽子は1967年にソロ歌手として『甘ったれたいの』でデビューしたが、鳴かず飛ばずだった。当時陽子はいずみたくの事務所に所属しており、いずみは彼女を売り出すためグループにすることを考えて、ルイスたち男性陣を集めてピンキーとキラーズを結成させた。この頃の音楽業界では“大きな女性歌手は売れにくい”というジンクスがあり、ルイスたちは高身長の陽子(167cm)に不安を感じた。しかし陽子の歌声を聞いたルイスたちは、彼女の声量がすごく、リズム感の良さや英語歌詞も上手に歌えたことから「これはモノになるぞ」と確信したという。

 

その後デビューから4年で陽子がグループを脱退したが、実はグループ結成の時点でルイスたち男性陣にはいずみから陽子の処遇について事前に聞かされていた。

それは「ピンキーが20歳になったら、その時ピンキーとキラーズが売れていても売れていなくても、この子はソロで活動させる」という話だった。ただし陽子本人にはこの話は知らされていなかった。このためルイスが人づてに聞いた話として、「『私(陽子)がピンキーとキラーズを脱退になったのは、自分の努力が足りなかったせい』と裏事情を知る最近まで責任を感じていた」とのこと

メンバー

  • 今陽子:ピンキー
  • ジョージ浜野(ギター 1941年1月1日 - 
  • エンディ山口(ギター 1945年6月12日 - 2021年8月22日)後に「けいことエンディ・ルイス」を結成する
  • ルイス高野(ベース、1947年1月14日 - )後に「けいことエンディ・ルイス」を結成する
  • パンチョ加賀美(ドラムス、1944年2月21日 - 2018年5月29日