木曜日、山上の垂訓の学びもマタイ6章の最後になりました。イエス様は「空の鳥、野の花を見なさい」と言われました。それは信仰の目で見ると言う事です。鳥にも危険が沢山あるし、花はすぐに枯れるでしょう。しかし、空には今日も鳥が飛び、季節が巡ると今シーズンも同じ花が野に咲くのです。
私達は自分の人生も信仰の目をもって見なければなりません。主は私達の必要を知っておられ、満たして下さる方です。
神の国と神の義、主を求めて、主の御心を求める事を大切に第一にして行く時に、主は霊的な必要を与えるとともに、衣食住だけでなく、日々、供給され続けなければならない全てを与えて下さるのです。
私達はもちろん必要なものを主に求めて祈りますが、実際は何から何までを祈り求めるわけにはいかないでしょう。「主よ。私に明日の朝も空気を与えて下さい」と祈ってから眠る夜は、それほど多くないでしょう。
私達は主が私達の必要を満たして下さる事を信じる必要があるのです。それをいちいち心配して不安になったり、思い煩う事は愚かな事です。
イエス様は心配してはならない、思い煩うなと主に信頼して生きるようにと命じています。



内の教会には、サルスベリが植わっているのですが、最近、駐車場をはさんで、雑草が茂っている空き地にサルスベリが生えているのに気がつきました。まだ貧弱ですが、花も咲きました。