私の牧師、村上好伸先生が私達の人格が整えられて行くために、時に、コンクリートの型枠をはめるようにする必要があると話してくれていました。
まだ、やさしさが湧き上がって来ているわけではなくても、やさしさの型枠に自分をはめるのです。まだ、憐れみの心が湧き上がって来ているわけではなくても、憐れみ深い型枠に自分をはめて、そのような生き方を実行して行くのです。
教会生活でも、信仰者としての実生活でも、人格や気持ちが整えられて、喜んでできるようになってからしか行動に移さないなら私達の成長はなかなか目に見える変化が起こって来ないでしょう。
聖書を読みたくなったら読む、喜んで奉仕できるならする、すべてになっとくしたら従う、惜しむ心が無くなれば捧げる。それでは、いつまでも、自分の限界を超えて行けません。それは自己中心の考え方です。
まだ、喜んで出来ない事でも、主の御心で、主が喜んで下さるなら自分を型枠にはめて実行して行くのです。
コンクリートは型枠がなければ、どれだけ流しても、ただ、形に成らないで流れてしまいます。しかし、しばらく型枠をはめてやると、しばらくすると枠をはずしても形に成ります。
九州キリスト災害支援センターの働きも、自分のやさしさや愛がそこまで、情熱をもって湧き上がっていなくても、正しいとわかっている事に、型枠をはめて、支援の行動を起こして行くのです。
時に、偽善的だと、心責められ、ブレーキがかかる場合もあるでしょう。しかし、それは偽善ではなく、愛の型枠なのです。
カリスチャペル福岡の兄姉もなんらかの形で支援に参加して下さる事を願っています。