今日は木曜礼拝がありました。韓国チームがいなくなり、寂しく思っているのは信徒の方も同じようです。
引き続き、マタイ伝から山上の垂訓の話しをしました。マタイ6章も後、少しです。山上の垂訓は、イエス様が山の上で弟子達に語った話しです。つまり、主に信頼してついて行く人々に、神の国の価値観を教えたのです。
特にマタイ6章は、隠れた信仰の話し、富・宝の話し、そして、心配でなく信仰で生きる話しです。これらの話しは、主の前に生きる事、主のために生きる事、主によって生きる事が語られています。
イエス様は「心配してはいけない」と教えています。それでも、心配な人々のために、空の鳥、野の花を見るようにと勧めます。鳥は畑を耕し作物を育てる働きをしていなくても、神様に養われ、野の花は糸を紡いだり、機織りをしていなくても美しく咲くのです。神の恵みと守りがある事を教えているのです。
私達も主を信じ従う時に、主の備えた祝福の計画に導かれるのです。
イエス様を信じた時から私達は一人ぼっちですべてを背負う人生を卒業したのです。どんな時にも主が共にいて助けて下さるのです。そう信じるなら心配から解放されるのです。
イエス様は「心配をやめなさい」と言うとともに「信仰の薄い人達」と呼びかけています。
心配はただ、心配しないように努力しても解決しません。その原因は神様への不信仰だからです。信仰を強めると心配は消え失せるのです。



今日の午後は汗ダクになりながら、教会の駐車場横の道路を含めて、除草剤をまきました。