久しぶりの更新。

すごい。宮台真司の言う、「感染」だ。

これは、やばい。

どこがどうすごいのかはまだ説明の言葉を持たない。けど、書く。

著書を読めば読むほど、すごさがひしひしと伝わる。

身体意識の高さというのは、センサーの感度の良さであるとも思う。(甲野さんの主張を借りて)

甲野善紀さんも関心したけれど、甲野さんのようになりたいなとは、つゆほど思わなかった。
(すごすぎる。というか、ちょっとネガティブすぎてつらい)
甲野さんのセンサーの鋭さでは、当然のことだとは思う。
表情からも伝わってくる。

けれど、あれほどの身体意識の高さを持ちながら(見たわけではないが)
無根拠の自信を持っているところに
センサーの感度の良さと、その運用の的確さを見てとれるのだ。

今自分にあるのは、一種の憧れである。

『趙良』の一節にあるように、
弟子が師を仰ぎさえすれば、学びは成立する。

というのは、今の自分には、身につまされる思いがするのである。

教える側としても、先生を持ちたいと切望する自分としても。

もう一度言おう。
内田樹に「感染」した。
シニカルであって、やさしさを感じる。

「生まれたばかりの赤ちゃんのようなピュアさじゃあ、だれも認めない。
ピュアで美しくはあるけれど。」

そんなことを、東大の公開収録で爆笑問題の太田さんが言っていたっけ

さらに、
「でもそのピュアさを持ちつつも、それを世に認めさせるのが芸なんだ」
とも。

星新一のシニカルさは彼の芸でであり、魅力だ。

自分も毒を大切にしたい。

趣向を変えて、映画で!

「反抗する」のって、実はすごく難しい。
自分は、どちらかというと穏やかな反抗期を迎えていたわけだけど。

ぼくが付き合ってきた生徒たちの言葉って、どこか大人のぼくにはつかめない。
中学生当時の僕ははかなり、確信めいた感覚はあった気がするんだけれど。

なんというか、同じ言葉だけど、違うコミュニケーション方法をとっている感じ。
あの子たちの時にしか使えない言語で話しているわけだ。

でもそれって、ものすごい危ういものだし、ものすごい揺らいでいる。

ぼくにはその時期の揺れがなかった気がする。
揺れることができなかった。それは自己防衛だったように、いまでは思う。

自分自身もでブレーキをかけっぱなしだったような・・

その分得たものもたくさんあるから、後悔はないんだけれど、
今、その揺れを自分自身で感じ、作り上げていっている気がする。

なんというか、過ぎ去りし日の落し物は拾えないけど
人生は積み重ねて増えていくものだと、考えるようになれたのかな。

そんなことを、ジミーに言っても、わからなかっただろうけど。

当時23歳のジミーは、次作で『ジャイアント』での怪演をする。

美しい男である。
美しい男になりたい(笑)