名人戦の記録を取ってみた。

 

こんな感じ。

 

 

内容は、

・試合進行の記録とコメント

・初期配置、音別の札配置

・取りのデータ、取得率などのまとめ

 

Google Drive のリンクはこちらからどうぞ。

 

 

4回戦の取りデータのところに、名人戦4試合を通しての取りデータを入れました。

 

これ使ってみたい!!!って方のためにまっさらな記録フォーマットも置いてあります。

 

取りは〇、お手は自陣なら△、敵陣なら×で記入。

取りデータのページは、最初に数字が空欄になってるところだけ記入すれば大丈夫。

Check がすべて TRUE になっていれば(たぶん)枚数もあってる。

 

取得率云々かんぬんが若干見にくいので色付けて説明を入れてみた。

 

名人、挑戦者、大会名などを変えて適当に使ってくださいまし。

 

 

 

 

 

名人戦のコメントに関しては、特に誰かを貶める意図はありません、特に審判に関しては、あれめっちゃ難しいので・・・

 

大会で終盤戦に審判つくだけでも集中するのに、1試合通してやるのは自分が試合する以上に疲れるかも。

 

あと、粂原名人のファンだったので名人寄りのコメントになってるのはご愛嬌。

やってくうちに余裕が出てきたので、試合が進むにつれコメントの量が増えてる(笑)

 

 

 

 

 

こんな見方を試合中してるよーってのが少しでも参考になれば。

難しいことも書いてるので、D,E 級レベルの参考になるかは正直怪しい、B級でも上のレベル以上の人なら勉強になるかも。

 

ただ、見るのやかるた考えるのが好きな人ならきっと見て面白いはず。

 

こんな風にかるた観戦の感想がネット上ですぐに見られたら面白いんだけどな。

他のみんなの感想も知りたい。

 

 

 

何か記録で間違ったところがあったりしたら、教えていただけると助かります。

もちろん感想もお待ちしています。

 

 

クイーン戦も夏までには記録付けたいな、ただ結構時間がかかるのでいつになるやら(笑)

 

 

 

 

 

 

 

久々に書く。

 

前回書いたのは10月のことらしい。

 

隣県の練習会へ行った時の練習日誌だ。

練習日誌 | 旅とかるたと自転車と (ameblo.jp)

 

意外と最近まで書いててびっくり。

 

この二か月であったことといえば、国文祭。

久々に皆と会えたのはたのしかったが・・・・・・

 

一生懸命に練習した割には、試合でそれを貫かずにわざわざ自分から形を崩し惨敗。

 

どんな相手だろうと序盤から形を崩すな、超A級だろうがまずは自分のかるたを貫け、それが勝ちにつながる、だなんて後輩には口酸っぱく言ってるくせに。

 

序盤で形を崩すとその瞬間良くても中盤に大きく響く。だから多少帰ることはあるけど自分の基本軸はぶらさない、が基本。

それなのに、初期配置で自陣に攻め札が多すぎるからって取り方も配置も変えまくったのは大反省。

 

この敗戦でめちゃくちゃ萎えた。

 

自会の選手の指導もろくにせずに自分のやりたいことだけやってこのざまか、とも思った。

その後は予想通りモチベ消滅(笑)。

信州前にちょっとやる気を復活させるも、4日前の今現在はなんとも言い難い調子だ。

 

1没3割、入賞戦進出3割、入賞3割、くらいの確率だろうか。

入賞はもっと低いかも。それでも平均のAよりは強い自信はあったけど、まあそれも当日次第だろう。

あまり気負わずに頑張ったらよしとすることにしよう。

ひさびさに大会に出られるだけでご褒美だ。

 

いつも通り、はああ、なんで今日もこんなとこでかるたやらなきゃいけないんだよ、と、序歌で諦めることにしよう(笑)

(不遜だとでも思う人は、自転車レースの前のルーティーンを以前書いたから見てほしい)

でやるしかないってなってまあやってみたらいいさ。

 

多少やさぐれながら書いてる。

 

 

コロナ禍、人との出会いが減ったといわれるが、案外自分は知り合いが増えたほうかもしれない。

そして過去に知り合った人と再会する機会も多かった。

まあ自分が大学から出戻りしただけなのだが(笑)

 

まずは近所に住む友人、昔からいつも温かい目で見守ってくれる大好きなかるたの保護者の人、中学時代の友人。

 

関西にいって知り合いは増え、親友も何人かできたももの、その誰もが「物理的に」近い存在でなかったのは悔やまれる。

 

いまでさえ不安になることはあるけど、大学時代はもっと不安定だったな。

 

それが、長野というホームグラウンドに帰ってきて、心の許せる友人たちと気軽に会えるようになったことは本当に大きいだろう。

 

関西で知り合いの先輩後輩はいるものの、遊ぶとなるとだいたい蚊帳の外だったもんな、

まあそんなに面白くはなかったのが本音だけど、一人で得してることもあるからいいとして。

孤独ってのはそれでも生きていける人間にしか与えられない、だなんて誰かが言ってたっけ。

 

家庭という場所があるのも、プラスに影響するときもある。

もちろん、大いにマイナスに影響することもあるのだが。

 

人間関係先、それも、自分が評価を気にしなくていい存在が複数いるのは本当に大きい。

こんな風に説明口調で書いてはいるけど、実際はもっとやわらかい心の動き。

 

そして、その人間関係自体が、長野に帰ってきてから作ったものではなく、今まで作り上げてきた人間関係が、「そこにあった」ことを再確認できたのが特に大きかっただろうか。

 

ほかに。

かるたのつぶやきやスペースなど、オンラインで人と関わることも多かった。

もちろん自分が暇だったのもあるが(いうて今も暇っちゃ暇)。

 

1000人もフォロワーがいるってまあまあヤバいよな。

国文祭でも、顔を見知ってる人数は多い方だったんだと思う、関東から関西、A級からE級まで、いろんな人と関わってきたからこそなんだとは思う。

これから先、かるたの世界で生きていく中では大いに活かされるんだろうな。それはまた後で話そう。

 

ってかマジで最近自会のことさぼりすぎてる。

長野に来た当初は働きもせず、就活もせず、かるたが唯一の社会活動みたいになっていて、だからこそ暇である程度熱を入ってた。

ただ、自分が就活、バイトに熱を入れるにつれ、また、かるた会に熱を入れても高校生大学生や子供たちがこなくなるにつれ・・・・・・

まあどんどん萎えていくわな。そしてとうとう自分がサボる側に(笑)

 

と言いながら他会の練習には行っていたりして。

自会の選手より他会の選手に歓迎されるなんてのはよくあるかもしれないが、

そのギャップにショックをうけたりもしたし、なんで自分がいつも関わってる子たちじゃなく初対面の人たちにこんな一生懸命かるたの教えを請われてるんだろう、とか。

 

まあもちろん俺が熱心にやってないと言えばそれまでだけど。

いやー、それでも最初は熱心にやってたよなー。

だんだんだんだん熱を入れても無駄なんじゃないかと思う瞬間が増えていったのも確か。

 

正直に言う。

初心者が1か月に1回練習に来るくらいで指導して強くしてください!!!は俺には無理!!!

練習に来てくれない母校の後輩より来てくれる人たちがかわいく思えるのは当然。

 

っとまあ、そんな立場にいる自分って何様だよって話だが。

おっと、ブラックな一面が出てしまった。

まあでも、かるた頑張ってるな、この子、って思えばだれであれ純粋に応援したくなる。

そのためにならこちらもできるだけのことをやろう、ってこころから思える。

 

まあでもその空気を作れないのが自分なら力不足~~~

→自分に原因を求めるので余計に萎え~~~の悪循環。

 

最近は他のことを充実させて、この分野にある程度無関心になることで精神の安定を図っている節がある。

それでいいのか?とも思うけれど。

いいも悪いもない気がしたり。べつに絶対的な善悪の判断なんてないし、ましてこんな事柄ならなおさら。

 

いまでもできる範囲ではやってるけど、わざわざやりません、みたいなスタンスになってきちゃったな。

 

どうせ頑張っても無駄(自分が無力)感は、高校時代の北信や長野高校に感じた絶望ともに、大学かるたでも自転車でも、はたまたいろんなところで過学習してしまった気がする。

 

いったんこれを感じるループに入ると3日間くらい本当にしんどくなったりするんだよな、たまに目の前にあるものが認識できないくらい。

まじ心の闇~、ちゃんと認識できてるだけ自分をほめてるけど。

 

そう、往々にして自分のかるただったりかるた会に向き合うのはめちゃめちゃしんどかったりするんよ。

 

過度に人の承認を求めちゃうような孤独感だったりはいずれ癒さなきゃなんないんだろうなー。わかってるんだけど難しいさ!!!

 

 

 

これからの展望としては、4月から働き始めて、まずは3年くらいいろんなとこ、全国各地にかるたしに行ってみたいなー。

なんて。かるた行脚したい。

知り合いが増えるのも嬉しいし、知り合い同士がそこで知り合いになるのも楽しいし。

 

あ、そうそう、かるたを広めたい、仲間を増やしたい、って思ってる人にはやっぱり感情移入しちゃうし。

 

それが満たされないとき、やっぱりショック受けちゃうんだろうなー自分。

 

最近呟いたけど、一番つよいモチベーションって自分自身の経験に基づく感情的な理由も多い気がして、自分の場合はやっぱりここになりそう。

 

だから、長野県を、とかじゃなく、全国でかるたする仲間を増やしたいと思ってる人の力になりたい、が先に来ちゃう。

 

ここはもっと年をとってもぶれなそう。

 

ただ働き始めてどうなるか。

まじで、15とか18から働いてる同い年とか本当にすごいって。

なにを当たり前のことを、って人もいるかもだけど、それは決して自分にはできないし、できたとしても実際それをやってきたのはその人だし。

 

本当に尊敬しかない。

 

あともう一つ思うこと、最近結婚した友達の家に行ったり、その他いろいろあって、独身時代って貴重だなと思うようになってきた。

まあだからその時間を有効に使おう、だなんて、多分やること自体は今後も変わらないはずだけど。

 

12月19日に誕生日を迎え、25になったけど、振り返ればこれまでよく頑張ったなあと思えますわ。

これからもぼちぼちやっていけたらいいねえ。

 

まあ遠くないうちに。

久々の投稿。

近況報告はまた今度の機会に。

昨日の2試合目。
対A○3?
出札がきつく倍セイム20-10くらいの展開。
しっかり攻められて思った以上に苦戦。
中盤で一気に追いついて勢いのまままくれたのは合格点。
しかし序盤の守りに課題か。
ちょっと序盤に出札が偏ったくらいで、いつもなら守れる札が守れなくなる。
なぜかと言えば、自分が序盤軸として取って形が札が送られたことによって変わって、新たな軸が設定できず、音を確認しながら取っていたため自然な感じで反応できなかったためだろう。
あとは終盤、もっと思いっきり抜ければ5枚くらいで勝てたかな。

3試合目 対A○7
中盤まで出札の割には弱冠リードできて、こちらに向いたところで一気に相手陣を攻めて差をつける理想的な展開。
しかし最後、相手が守ってる札を抜けなさすぎる。
A級のトップスピードが早い、かつ、自分が落ちたことを実感。しっかり攻められれば束つけられた試合。

1,4試合目に感じたこと。

中学高校の時期に背が伸びたのにも関わらず、小学校の時と同じ構えをして伸び悩んでる人は結構多いのかも。


5試合目。
対A○1

2試合目とほぼ同じ展開、ただ違ったのは、一気にではなく徐々に詰めて8-8くらいで、追いついたので、相手にめちゃくちゃの暗記の負荷はかけられなかったみたい。
最後しっかり抜ききるが基本はできていたけど、3-1で自陣の1を守って3枚ノーケアなのはダサすぎるな。

6試合目対A×7

ヘロヘロ。だだヘロヘロの時こそいつもごまかしてる悪いところがはっきり出る。
例えば長い札の暗記。大山札は決まり字の最後の1字をしっかりと覚えるとか。
取りの技術については満足の行く取り方はできていた。
手首の返しが戻ってきたあたり楽しい。
こういう意味で過去に身につけた技術は役に立つし、身につけておいて損になることってあまりないなって思う。
ダブったとこについては暗記を要確認。

そして劣勢時の守りに課題。
本来自陣の守り札は強く暗記せずに感じで守るタイプだけど、終盤劣勢になるとそうも言ってられない。
敵陣を強く狙うように、自陣も狙うような意識で取りにいかないと取り負ける。
あと相手の選手はほぼ払い手で素晴らしかったな。

これだけAと取ると相手のスピードがイメージできるようになったし、それに応じてどの札を取るか取らなきゃいけないか守られちゃいけないかわかってくる、何よりの収穫だね。


地頭がいい、と言われることがある。

 

例えば、面接官のいじわるな質問にぱっと答えられたとき。

 

他に、才能あるね、って言われることも、なんらかの分野ではある。

主には自転車だったけど。

 

こんな言葉を掛けられて、多くの人はそんなに悪い気はしないと思う。

 

その一方で、とりあえず「ありがとうございます」とは言ってみるものの、内心どう受け取ったらいいかわからない人もいるのではないか。

 

少なくとも自分はその一人だ。

 

そもそも、才能があるとか、地頭がいいとか、はたしてほめ言葉なのだろうか。

 

これらは、主には先天的な能力値に対して掛けられる言葉で、ある意味今に至るまでの過程を一切無視した側面もある。

 

例えば、例の面接官に地頭がいいと言われたとき。

 

自分が自分の考えを表現することが人並み以上に得意になったのは、高校時代にかるたを頑張ったからであり、大学時代に挫折する中で内側にあるものを言葉にしようと格闘したからであり、大人の人と多く接する中で工夫しながら身に着けていったものであったり。

 

例えば、自転車の才能があると言われたとき。

 

大学から始めても活躍できたのは、高校時代に毎朝通学で追い込んで、帰りも峠に寄り道して帰ったからだし、一見ほとんど乗っていないように見える大学時代のオフシーズンでも通学時は激坂を上り下りしてある程度の心肺能力は維持していたし、レースで結果が出せるようにFTPにこだわりすぎず勝負所で耐えられるようもがく練習をしてきたからだし、レースについての分析は他の学連選手より何倍もしてきたし。

 

そのような、個人の意思や工夫、場合によって苦しみを伴う選択を自分自身で選んできたその過程さえも、”才能” だとか ”地頭” で片付けられてしまうとき、内心けっこうな憤りを感じていたりする。

 

あなたに何がわかるのかと。

 

 

2年前、東大の入学式の祝辞で、上野千鶴子さんのスピーチが話題になった。

 

内容自体は素晴らしいものなのでぜひ読んでみてほしい。
上野千鶴子さん東京大学での祝辞全文(2019年) | kunihirostudy by norman.jp

 

そしてこの文章の後半の部分、東大生が東大に入れたのは環境のおかげである、というような趣旨の部分に対して、当時の僕の知り合の間ではかなり議論を呼んでいた。

もっともだという意見と、新入生がかわいそう、という意見。

 

僕自身は、上野さんの言っていることはデータ的にもその通りだと思っていたけど、今となっては、努力してきた新入生にとってちょっと酷じゃないの、とも思える。

 

自分自身の努力、選択が結果になったと信じたい。

多くの人がそう思うだろうし、その信念を抱いているからこそ、人生が何かをする価値のあるものだと思うのだろう。

 

一方で、勉強のほかにも、多くの面で本人の努力によらない要因で説明が可能になることも多くある。

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書) | 橘 玲 |本 | 通販 | Amazon

 

割と昔から、勉強のほとんどは努力じゃなく遺伝的な才能によるものだと思っていたし、

この本に書いてあることも素直に受け入れられたけど、いざ自分が努力したと思える出来事に関して、才能という言葉を突き付けられると、頑なに抵抗したくなってしまう。

 

ものすごい自己矛盾だけど、結局自分が一番かわいいということなのかな。

 

 

とりとめのない文章になってしまったが、今日はこれきり。

 

 

月日が過ぎるのはいつだって早い。

 

春が来たかと思えばもう梅雨時か。

 

クソニートをしていようが、アリのようにはたらこうが、日々は変わらず通り過ぎてくもんな。

 

自分はと言えば、かるたに就活にバイトにプライベートに、1週間頑張ってはまた1週間手を抜きながら過ごす、相変わらずの日々だ。

 

ムラッ気のある自分に多少嫌気がさしつつも、集中してるときは他人には真似できないパフォーマンスができる優越感に浸り、それに甘んじていたり。

 

まあただ、生きるのが嫌になるほど頑張りすぎないことを覚えたのは、ここ数年の多少の成長だろうか。

 

ただ今の環境に甘え切っているだけかもしれないが(笑)

 

 

生きるうえで、社会の目線にさらされながら過ごす日々は、多くの人にとって過酷だ。

 

特に、大勢の中で孤独を感じてしまえば、だれがたった一人で社会に立ち向かうことができるというのだろうか。

 

近年形成された、SNSの普及による、”見られてる感” はそれはそれは強烈だ。

 

こんな社会の中で、だれが自分の意見を臆することなく発しろと言えるのだろうか。

 

老人世代が、的外れな自分の意見を堂々と発言すること見るたびに、若い世代はそ自信に感銘を覚え、かつその視野の狭さに落胆としていることだろう。

 

彼らに対してある種の羨望すら覚えている人も少なくないはずだ。

 

"見られてる感" に対する意識の欠如。

 

あんたたちは若い世代からどう見られてるか、まあ知らないだろうな。

 

中高生の時期になれば、誰しも自分のアイデンティティーに不安を覚え、他人の中での自分の立ち位置を気にするものだ。

 

しかし、現代において、多感な時期にそれほど社会の視線を気にしなければならないのは、あまりにも過酷と言えないだろうか。

 

そのような外界からの視線に守られた場所の一つとして、かるた会として何か貢献できないかと、考えることはある。

グローバル、オンラインの世界に対しての、ローカル、クローズドな集まり。

現代社会へのささやかな抵抗、アンチテーゼ(笑)

 

初めてこう思ったのは、確か高校生のときだった。

ちょうど在学中にスマホとガラケーの所持割合が逆転し、何をするにもスマホが必要になる、そんな時代が形成され始めていた。

 

グローバル化が声高に叫ばれ、学校自体もその方向へ舵を切りつつあり、それに疑問を抱いていたのもこのころ。

 

グローバル化グローバル化って言って、それって本当に幸せになるの?

 

 

思春期にありがちな、社会に対して大きな疑問を抱きつつも、それを大人に対してはぶつけられない、どこにでもいる少年だったのかも。

 

とはいえ、そのころから、オンラインによる不特定多数のつながりよりも、濃密な人間関係の方が人々の幸せに寄与する、との持論が、徐々に形成され始めていたのだろう。

 

もう少し補足すると、すべての人にとってそうではないので、寄与する確率が高い、とでも言い直すべきかもしれないが(笑)

 

 

孤独について話を戻すと、大勢の中で孤独を感じるのは、それはそれはつらい。

 

しかし、だれもいないところ、例えば北海道の大自然の中で一人でいたり、深夜に月明かり照らす道を一人で帰るときだったり、必ずしも他人を意識しない孤独もあるだろう。

 

必ずしもさみしいわけではないし、そうであったとしても、それは自分自身の感情が素直に出た結果だ。

 

他者の影響を受けずに、自分自身の考えと向き合う、自分の感覚を感じる、そんな時間は、現代では意識しなければ手に入らなくなってしまった。

 

今自分もこうして一人でブログを書いてみたり、自転車で走ったり、かるたを一生懸命してみたり、自分自身の考えや感覚に向き合う時間はある程度確保できているので、それが日々の中での幸せに繋がっているのかもしれない。

 

世間の視線に日々さらされ、追い立てられつつも、こうして誰にも侵されることのない、孤独の中で幸せを見出だせることに感謝しつつ、ほんのちょっぴりそれを伝えて、誰かとつながりその幸せを共有したいとも欲張ってしまうのは、人の弱さなのだろうか。

 

 

 

 

 

強くなることがかるたのすべて???

 

勝たなきゃ意味がない???強くならなきゃ意味がない???

 

 

だなんて。

 

 

答えはもちろん、否だ。

 

 

この質問をされたら、多くの人がそう答えるだろう。

 

 

では、強くなることがすべてではないとしたら、ほかにどんな意味がある????

 

 

これに答えるのは、上の質問ほどは容易いものではない。

 

容易いものではない、というより、生涯かけて追い求めても、答えが出るとは限らない。

 

 

なぜなら、突き詰めれば、人の幸せとはなにか、という問題に行き着いてしまうからだ。

 

 

かるたにおいて、勝利がすべてではない、とまず初めに考えたとき、最初に思いつくのはその有用性だ。

 

1時間半試合する集中力、暗記力、体力、仲間とともに頑張る力、あきらめない力。

 

それを系統だててみれば、小学生だったらまずは試合へ集中力だったり、音を感じ取る力、自らの完成を高める力、

もう少し学年が上がれば、暗記による脳力の向上、仲間との協調性、お兄さんお姉さんになって後輩たちを教える指導力、リーダーシップ、もっと大人向けだったら、鈍った体を鍛えなおすことだったり・・・(笑)

 

と、考えてみればこれ以外にも色々要素は挙げられるだろう。

 

かるたに限らず、何かを指導していく中で、人が成長できる軸をたくさん持っておくことで、それぞれに合った接し方ができるようになり、考え方も深まっていく。

また、選手に多くの考え方を提供することで、自身の成長に気づける機会も増えるだろう。

 

 

そして、そうして身に着けた力は、きっと、かるた以外の場所でも、大いに力を発揮してくれるはずだ。

 

 

そうしてかるた以外の場所でも、自分の幸せを見つけ出し、切り拓き、多くの人に貢献できるようになってくれたら嬉しいと、選手にはわざわざ言わないけど、こっそり思っている。

 

そう思うなら、自分で幸せを感じるって?多くの人の幸せって?どんな力があれば貢献できる?とか、答えのない問いに答えようともがく力、見えないけれども少しでもゴールに近づこうという姿勢は必要だと思う。

 

かるたが好きで、かるたをもっと広めたいと願うからには、かるたに関わる人でもそれ以外でも、多くの人のプラスになりますように、って思うし、そうじゃなきゃ広がっていかないとも思う。

 

もっともっとかるたが素晴らしい、かるたの世界が広がっていって、多くの人の幸せに貢献できますように!

 

 

さて、約3週間ぶりの更新である(笑)

 

どれほど続くかなと思ってやってみたが、毎日連続更新は1か月ほどで止まってしまった(笑)

 

多趣味の話は次回。

 

毎日書き続けていて思ったのは、書けるネタを探すのが大変なこと。

 

 

ただ、単純にネタを探すのは簡単だけど、自分の生ものの感情や思考、創造へのモチベーションがリンクした話題はいつもいつもあるわけではない。

 

また、最近は友人と密に(心理的に)話す機会が増えたことで、内面を吐露する機会が別の場所で確保できていた、という理由もあるだろうか。

 

 

それを経て、再び今日文章を書いてみようと思い立ったのは、このブログを読んでくれる(いたの間違いかも?)知り合いから、反応がもらえたのがきっかけだ。

 

 

ブログを書き始めるにあたって、こうして情報の荒波に乗り出して、わざわざ言葉を紡ぎだそうとしたからには、何か伝えたいことがあったはずだ。

しかし初心というのは簡単に忘れてしまうもので、いずれ自分自身への義務感に遮られて見えなくなってしまう。

 

かるたや諸々の趣味が楽しくなくなってしまうのもそんな理由かもしれない。

 

過去にも、自分自身でかるたが楽しめないとき、自転車に乗るのがしんどいときには、たびたび競技から離れていることがあった。

 

日頃から自分に厳しくすることを習慣づけ、義務感に囚われてしまった心をほぐすには、それなりの時間が必要になる。

 

そうして緊張を解いていくのと同時に、自分に厳しくしすぎないことを覚えることも、いろんな自分を(他人を)大切にするために、必要なことなのだと思う。

 

この5年くらいである程度はうまくなったはずだけど、きっと生きてる限り反省と成長を振り返る日々がつづくのでしょうな。

 

 

さて、ブログが途切れたことですが、どうせいつか途切れるだろうと思っていたし、1か月も続いたのが不思議なくらいだったな(笑)

 

必ず毎日とは言わないまでも、できる限りまた書き続けていきたい、ある意味無駄なことを続けられるだけの余裕が、生きていくうえでは大切だと、今日は考えている。

 

 

 

 

意外と多趣味なのかもしれない。

 

かるたや自転車はもちろん、旅行とか、乗り鉄、時刻表マニア、

麻雀、地図好き、河川争奪萌えオタク、カラオケ、読書とか。

ほかにプロ野球、中学時代はドラゴンズを毎晩のように応援していた。

テレビが見れなかったから、一球速報を更新しながらラジオを聞いて楽しんだものだ。

 

 

中学や高校で、学校の中でボカロやラノベが流行っていて、自分はあまりそれにはついていけなかったので、

趣味がなくて、話せる話題がなくてつらいなあ、なんて思っていたけど。

 

小中学校時代にゲーム、DSとかもだしカードゲームの類もほとんどやらなくて、そこでも友達の家に行ったときにどうしたらいいかわからなかったんだよなあ。

 

遊戯王をやっている友の横で置いてけぼりだった記憶とか。

 

それに比べてパズルやボードゲームは好きだったな。

 

 

そんな風に、他人と話せる話題とか、一緒に盛り上がれるものが少ないなあなんて思っていたので、

趣味がないなあと自覚していたのだが、どうやら勘違いしてたみたい。

 

最近は趣味と言えば、サイクリング、かるた、カラオケ、麻雀・・・・・・っていっぱいあるじゃん!!!

 

サイクリングは、身体に刺激的な走り、とにかく頑張って走るのも好きだし、田舎道をだらだら走るのも好き。

 

その中でも一番好きなのは、夜中に月明かりの中淡々と走ることかも。

何にも景色が見えないからこそ、心が落ち着くというか。

寂しさを感じない孤独感に浸れる瞬間。

 

そして、走りながら見る朝焼けや日の出が、本当に幻想的。

大学時代は夏によくやっていた。

 

かるたは言わずもがな(笑)

 

最近は子供たちの成長を見るのが本当に楽しい。

みんなが楽しそうにかるたしていると自分も飛び上がりそうになるくらい嬉しい、本当に嬉しい。

 

カラオケは、バイトが早く終わった時に、よく行く。

こんな情勢なのでもっぱら1人だけど、1人の方がやっぱり気楽だ。

 

高校時代はカラオケなんてほとんど行かなかったけど、大学時代にヒトカラの楽しさを覚えてしまったのだ。

 

上手いと言ってくれる人もいるけど、音はよくはずす。

 

最近気づいたのが、自分の中の音感と外部の音感が、高音になると絶対的にずれているみたい。

自分にとって心地よく感じられる音階が少し低くて、高音になって倍々になるとそのずれが顕著になる。

 

米津玄師 MV「アイネクライネ」 - YouTube

例えばこれ、D♭の音階なんだけど、自分にはD♭とDの間くらいに聞こえる。

 

ゆえに音がめちゃくちゃ取りづらい。

カラオケの音程っていっつもずれてるな、と思って音感チェックをしたらまさか自分のほうがずれていたとは、トホホ。

 

 

会の子供たちの成長が著しい。

 

半年前まで無段だった中学生たちが、A級4段やB級3段の選手に接戦し、勝利するほどになってきた。

 

横で見ていても、笑っちゃうくらい強い時があるし、自分も接戦するときは被害を食らう。

 

 

このままでは、彼女たちの練習相手にならなくなってしまう(笑)

 

この1か月は自分の練習よりも指導に力を入れてきたが、また自分の練習もしなくちゃな、と思うようになってきた今日この頃である。

 

 

教え子たちが、成長していき、時には壁にぶつかり、それを乗り越え、楽しそうにかるたしている姿を見るのが、最近の生活の中での最高の喜びだ。

 

 

本当に素晴らしいと思うのは、自分たちで主体性を持ってやってくれること。

 

払い練だって自分たちでやるし、後片付けもきっちりするし、

感想戦もしたり、

 

時には気分にムラがあることもあるけど、それはまあご愛嬌。

 

実際に気になったことはあったが、その年代の中学生高校生の心情というものはまたむつかしいもので、扱い方を間違えると一気にやる気をなくしてしまうこともある。

 

今まではそんな光景を見るとすぐに何も考えず注意していた自分だが、最近はそれを少しこらえて観察できるようになった。

 

 

誰かがふざけていたり、ムラがあるとき、そこには不安が見え隠れしている場合も多い。

 

かるたを真剣にするのが、向きあうには気持ちが追い付かない時だってある。

直視したくないときはふざけてしまう、大人だってあることだろう。

 

そんな彼、彼女らの内面を考えて、何が適切か、どこまで言ってよくてどこまで言ってはいけないか、今でも探ることには難しさを感じる。

 

例えば、〇〇と取りたくないと言っているとき、精神的にズタボロのときには本当に取らせないほうがいいけど、自分自身へ不安ではなく、単純に負けるのが嫌な場合は当てたほうがよかったり。

 

その場合でも、多少リスクがある場合には見守って、何か変化があった時にはすぐに気づけるようにしないといけない。

 

というわけで、リスクのある行動は注意力のキャパを消費するので、何でもかんでも冒険するというわけにはいかなかったりする。

 

迷ったときは、僕自身の能力にも不安があり、コントロールできるか不安を感じていることも多いから、安全な選択を取りがち、これは仕方ないけど、経験するうちにキャパが広がればいいなと思う。

 

もっとも、いつも目の前のことに試行錯誤しつつ全力でやるだけなんだけどね。

 

 

競技かるたの練習会では、試合形式の練習がほとんどだ。

 

試合をして、少し感想戦をして、また試合して。

 

この繰り返しだ。

 

大会と同じように、練習で毎回毎回、試合をする。

 

 

 

 

・・・でも、これっていいの??????

 

本当に強くなるための練習になってるの??????

 

試合は疲れる、けど、一度試合に始めてしまえば、終わるまでかるたをし続けるのは、慣れた競技者にとってはそんなに難しいことじゃない。

 

はたして、それがかるたの競技力を高めるのに一番有効な練習法なのだろうか?

 

 

ほかの競技を考えてみよう。

 

例えば、野球部なら、バッティングの練習、守備の練習、走塁の練習。

 

バッティングでも、基礎的な素振りの練習、緩い球を打つ練習、ストレートを打つ練習、変化球を打つ練習、

コースを狙って打つ練習、実際に試合形式で打席に立って打つ練習。

 

守備なら、基礎のキャッチボール、ゴロやフライを取る練習、塁へ送球する練習、連係プレーの練習。

 

走塁なら、盗塁の練習、ベースランニングの練習。

 

その一つ一つにも、もっと細かい練習があったり。

 

自分は、かるたの取りにかかわる力は大きく分けて3つあると思っている。

 

1つは払い(構え含む)、1つは感じ(音に対する反応全般)、もう1つは暗記(場所の暗記、決まり字消去など)。

 

試合の中では、これらの力を全部総合して戦う。

 

もちろん試合では、それぞれの力が伸びると同時に、総合力や相手との関係性の中で戦う力などが身につく。

 

しかし、そんな総合的な練習よりも、特定の要素に絞った試合以外の練習をした方が、伸びる場合もあるんじゃないかと思うのだ。

 

 

例えば、かるたを始めて間もないなら、まずは1枚を早くとる力を身につけさせたい。

しかし、そのためにわざわざ50枚で試合をして、1時間半の中でせいぜい5枚くらいしか早く取れないのは、非効率だ。

 

だったら1字札だけの試合とか、極端に言えば自陣敵陣1枚づつ、とかでもいい。

これなら札を狙って早く取ろうとする機会が増え、初心者が札を取る喜びも身につく。

 

逆に、初心者が1枚を狙って早く取るために、必要ないのが暗記の練習だ。

 

50枚の試合形式の練習では、なんといっても最初は暗記力がモノを言う。

 

しかし、初心者に始め身につけさせたいのは、音を捉え、札を取りに行こうとする力だ。

 

そのために、音を捉えるために札を狙って、素振りをすることが必要だったりする。

 

 

ここまでは基本的だが、これは上級者にも言える。

 

例えば、C級にはなったが音に対する反応が遅い、という選手の場合は、とにかく読みの声を聞いて、1音目やその子音を早く捉える力が必要だろう。

 

そのために1番必要なのは、「聞く」 練習だ。

 

聞くことだけに集中するなら、暗記はいらないし払いもいらない。

 

それなら必要な練習は、自分が試合をするのではなく他人の試合を見たり、ありあけやわすらもちの読みを聞くことだったり。

 

 

 

暗記の練習だったら・・・・・・

 

初心者は札流しや定位置を覚える練習、50枚を並べて試合前の暗記を短い時間でする練習、その50枚をできるだけ早く復唱する練習、

などがあるだろうか。

 

 

こんな風に、なにかに特化した練習をすることで、多少は効率よく力を身に着けることは可能になると思う。

 

もちろん、効率だけがすべてじゃないけれど、効率の良い練習で力が身につけば、成長を実感してモチベーションにもつながる。

 

とくに、最初のころ、自分でかるたを考えるだけの力が身についていない状態では、手厚いサポートをしたいところ。

 

そこから成長して、B,C 級くらいになれば、簡単に答えを与えず、自分から工夫して壁を乗り越えていく力を身に着けてほしいけど。

 

 

その見極めも本人の性格やかるたの特性によるからむつかしいところよねえ。

 

はたしてこれからいくら言語化できるだろうかね。