巡礼を楽しむ レキササイズ season 4 -8ページ目

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

『大河ドラマ平清盛』でオーラを輝かせながら、あばれんぼうで、強弓の使いの印象をアピールしながら源為朝が登場していました。
彼のエピソードはいくつか聞いてはいるのですが、一番印象に残っているのは、保元の乱で、腕の筋を斬られ、大島に流される・・・。しかし、その後大島を抜け出し、琉球で王様になったとか・・・想像を掻き立てるものがあります。

その彼の木造が流れ着いて、それを祀ったというのがこの、為朝神社になります。 もう少し、頭を使うとか、世渡りが上手なら、保元の乱で勝利していたかもしれません。ワタシにとっては、そんな気持ちが沸いてくる中世の役者の一人です。
浦賀を散策していて、彼の名前をフト見つけ、無性に行きたくなって、ついつい寄ってしましました。こじんまりした神社。紋は笹竜胆です。笹竜胆を見ると、あぁ源氏・・・
狛犬と堂しかないような神社ですが、この場にこられたことで、まずは感動、爽やかな気持ちになります。

為朝を祀っている神社は初めて知りました。こんなところ(失礼)・・・浦賀にあるとは思ってもいませんでした。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浦賀為朝神社

2009年12月26日 訪問

ポツポツ雨の中の訪問となりました。
新羽の交差点からスタジアムの方に進みます。古い道と新しい道とが混ざっているような感じの道路です。 クランクがかった道路のところに専念寺の入り口がありました。 山門まで、細長い参道が続きます。山門をくぐると正面に石段があり、その上に本堂。本堂と同じ高さの左側に観音堂らしきものが見えます。
本堂、そして次の子年まで御開帳を待つ観音堂をお参りして、小机駅のほうに向かいました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-専念寺

いつの間にかポツポツ雨も上がり、日差しがきつくなってきました。

2012年5月4日 訪問

GW終盤の土曜日、坂東33の結願の次の次の日に、気分新たに、そしてダイエットを目指し元気にチャリ巡礼に出かけました。
家を出るときから曇り気味でしたが、天気予報は快晴に向かいそうなことだったので、雨具の用意もなしに出発。まずは中山方面に向かいました。 我が家からは、東西南北どちらの方向も坂道が待っています。この日は北東方面です。 4月にもほぼ同じコースでIKEAまで巡礼をしましたが、この日はもう少し先に旧小机領33観音霊場の札所が2ヶ所あるので、まずはそのうちの西方寺を目指して行きました。IKEAを過ぎるとメイン道路はいっきに狭くなります・・・というより、もともと昔はこの道は狭かったので、昔のままの広さということです。新羽交差点の手前に西方寺はありました。さすが古刹だけあって、どうどうとした本堂です。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-15西方寺

案内板(浄財募志のようです)
西方寺本堂伽藍維持勧募志
当山西方寺は建久五年(一一九〇年源頼朝公在世の頃)鎌倉の笹目ヶ谷に創建され、開山は醍醐三宝院座主、奈良東大寺の別当の勝賢僧正でございます。のちに北條重時が忍性菩薩を招き鎌倉に極楽寺を創設するに当たり極楽寺の一山の中に移されました。極楽寺は、施薬院など医療施設をも含む広大な大伽藍でございましたが、戦禍や天災に遭いその多くを失い、時代も足利の時代になり縮小され、西方寺も当地新羽に移建されました。
当地に移建されましたのは明応四年、今から約五百年前のことでございます。このように当山西方寺は由緒深い古刹で移建当初の本堂はどのようなものか解りませんが、多くの古い寺宝を残しております。現在の本堂は江戸時代の享保六年(一七二一)今から約三百年前、鐘楼は宝永五年(一七〇八)山門は弘化年間(一八四四~一八四七)の創建で、いずれも平成九年に横浜市の文化財に指定されました。本堂は平成十五年より解体修復が行われ、十九年に完成し山門撞楼の屋根は二十年に葺き替えられました。
本堂は創建当初の姿に復元され、美しく落ち着いた周囲の景観と調和した格調高い本堂で、元禄時代の数少ない文化遺産でございます。今後末永く先徳の遺風を顕彰し伽藍を維持して世間の安寧に寄与致したく念願致しております。
つきましては、この浄行にご賛同頂き応分の御喜捨を頂きたくお願い致します。
  山 主   敬 白
2012年5月4日 訪問

ここは神社なのか、なんなのか?菊名池畔妙蓮寺境外社とのことですが、小さな鳥居があり、小さな祠があり・・・。
『社』ということなので、神社でカウントすることにしました。
池の横にあります。商店街でお昼を買って、この『社』の横が公園ぽかったので、そこで昼食にしました。
アイスロックの入ったカップとレモンティーで、暑さをしのぎ、一休み。
このロックアイスはすぐれもの、気持ちよかったです。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-菊名弁財天

案内板
菊名弁財天
祭神 市杵島姫命
七福神中唯一の女神であります。弁財天のお姿は一般には琵琶をお持ちになって居ますが、この弁財天は右手に剣を左手には宝玉をお持ちになり、お顔は美しく気品と愛敬がおありです。剣は魔を払い交通安全、家内安全を現し宝玉は招福の玉として財宝授与、商売繁昌のご守護神であります。
2007年9月22日 訪問

出張ついでのお気楽巡礼、この日2寺目です。
直接には、芭蕉と西行は時代が全然違う・・・
中世の偉人の一人である西行の塚を、この寺で西行塚を見つけ、詠んだ句だと思うことにします。八王子には西行ゆかりの地がいくつかあるようです。大河ドラマ『平清盛』の西行をイメージしつつ、この日はここで打ち止め、仕事に向かいました。また2カ月後に来るので、次回は予習してから来させていただきます。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-八王子長心寺

芭蕉句碑
碑表 『西行の草鞋もかかれ栢の露』 はせを
句は、「笈日記「泊船集」「蕉翁句集」(貞享5年とする)に収録されており、いずれも「画賛」と題している。おそらく松を画いた絵に賛を望まれた折の吟と思われる。露のしたたりそうなみずみずしい松が立っている、この松の木かげに西行が立ち寄り、長旅ですですり切れた草鞋などがかかっていたら一層風情があるものを、の意である。なお「栢の露」は「松の露」が正しい。寺内にある「西行塚」に因んで西行を敬慕した芭蕉の句碑の建立が企画さ れたものであろう。
主監の「瀧見可屋」は当時の先々代の住職で三世寛誉泰道大和尚・俗名 瀧見泰道で、俳句に熱心で八王子を代表する近代俳壇を代表するひとりであり、寺内に 「涼しさや月下にならす花鋏」の句碑があり、又八王子鑓水の永泉寺境内にも「しばらくは夢のかりきるはな衣」の句碑が建っている。碑表の文字の執筆者「千秋庵」は「新選俳諧年表」(大正十二年刊)の大正八年の頃にみえる。「  鶴汀歿、二月十一日、享年八十六、塩谷氏、名新吉、千秋庵瑞夢仙と号す。美濃人」と同一人物と考えられている。又「獅子門」とは美濃派とも言い蕉門十哲の一人各務支考の一派である。
八王子市内の芭蕉句碑はこの他「ひばりより上にやすら小峠かな」(天保十一年建立、浅川老人ホーム内)「先たのむ椎の木もあり夏木立」(明治四十三年)建立、鑓水 永泉寺境内)「しばらくは花の上なる月夜かな」(建立年次不明、下恩方辺名)「蝶の飛ぶばかり野中の日かげかな」(昭和二十四再建、新町の永福稲荷)などが知られている。
文責 大東文化大学 文学部教授 萩原 恭男  昭和五十九年甲子十一月


句碑の右側、電燈に隠れるようにあるのが西行塚です。『はせを』は『ばしょう』って読むんでしょうかね。
2012年5月18日 訪問