巡礼を楽しむ レキササイズ season 4 -9ページ目

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-三浦半島記 三浦半島や鎌倉散策の時にデイバッグに入れて出かけました。中世の三浦半島の位置づけ、役割を理解するのに大変参考になった一冊です。

その中に、西行と頼朝の出会う場面が書かれている吾妻鏡を紹介しています。

大河ドラマ『平清盛』では、西行が清盛の親友のように描かれているので、改めて西行に興味がわいてきます。出会いは文治二年(一一八六)八月十五日、西行は69歳、頼朝は40歳。西行は平重衡が焼いた東大寺の再建募金で陸奥へ向かう途中に鎌倉に寄った・・・。頼朝に八幡宮で声をかけられ、京のことを徹夜で聞いて、そのお礼として『銀作の猫』をあたえたそうです。しかし、西行は門を出ると、外で遊んでいた子供にやってしまったそうな。

司馬氏は、今は折れてしまった大銀杏の前でこのことを思い出したと書かれていました。

お気楽巡礼のつもりで、八王子へ出張した日に、駅のそばのお寺を訪問しました。八王子駅南側に出て、右手に曲がり、地図を見ながら税務署の方向に進みます。そこにあるのは、興林寺。

門の左側に案内板がありました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-八王子興林寺

案内板
市指定有形民俗文化財
興林寺の弘安の板碑
所在地 八王子市子安町四丁目四番十八号指定年月日 昭和三十一年七月二十八日この板碑は、弘安六年(一二八三)に建立された。大正の中ごろに、歴代住職の墓地に頭部が少し見える状態で埋没しでいたものを掘り出して、現在の位置に保存するようになったと伝えられている。
側面は古様を示す方形加工で、頭部は欠損しているが、上部に刻まれた阿弥陀の梵字は見事である。また、蓮座の下に記された大日三種悉地真言は、全国的に見ても稀少な例である。
なお、この板碑は市郷土資料館で所蔵している文永八年(一二七一)の板碑に次ぐもので、鎌倉時代の資料としても貴重である。
 平成二十年一月三十一日 八王子市教育委員会


ということで、鎌倉時代の板碑があるそうです。境内に入って、左側に小さな木の建物に板碑のようなものがあります。たぶん、これが掘り出された板碑なのでしょう。仕事があるので、チョイ見で退散しました。
2012年5月18日 訪問

過去に訪問した杉山神社です。

名前は杉山神社ではないのですが、鶴見駅のそばにある鶴見神社も杉山神社・・・なのだそうです。


鶴見神社はJRの線路沿いにあるので、JRで東京に行くときに『鶴見神社』と大きく書かれた建物が目に入っていました。
鶴見駅東口を出て鶴見川の方向に向って歩きます。線路のそばのはずだから、線路の横の道で行けば間違いないだろうと進みました。チャリだと多少の道の間違いはリカバリーできるのですが、この日は歩きだったので、なるべく手堅いコースを選びました。ほぼ予想通りの場所に鶴見神社はありました。
広い通りから見ると、鳥居と提灯と拝殿が見えます。まずは大きな岩に乗った狛犬の迫力に感動しました。向って右側の狛犬の後ろに宝物殿があります。拝殿の右側に鳥居と小さな祠がならんであります。
手前から『大鳥神社』、『三家稲荷神社』、『秋葉神社』、『関神社』と四つあります。四つの鳥居の向こうに『寺尾稲荷道道標』とかかれた石柱があります。そして最後、一番奥に『浅間神社』の小さな鳥居と祠があります。本殿の裏側を散策すると、どんどん石碑やおきつね様などたくさんあります。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-鶴見神社

<鶴見神社のHPから>
鶴見神社の由緒
鶴見神社は往古は杉山大明神と称し、境内地約五千坪を有する社でありました。その創建は推古天皇の御代(約1400年前)と伝えられております。続日本後記承和五年(約1180年前)2月の頃に「武蔵国都筑郡杉山の社、霊験あるを以って官幣を之に預らしむ。」とあります。この有力神社として江戸時代の国学者黒川春村は「杉山明神神寿歌釈」(鶴見神社に伝わる田祭りに関する本)の中に書き残しております。
大正9年に鶴見神社と改称されました。昭和37年、境内より弥生式後期から土師「古墳時代」を中心として鎌倉期に及ぶ多数の祭りに使用された道具が発見され、推古天皇以前より神聖な地として、すでに祭が行われていたことと共に、横浜・川崎間最古の社である事が立証されました。
横浜最古の神事芸能田遊びは、明治4年を最後に廃絶となりましたが、昭和62年に再興されました。以来杉山祭と呼称して田祭り保存会が結成され、毎年例祭日に奉納されております。のちに天王宮が合祀されて二社相殿となりまた天王宮の大神輿は、鶴見川に流れついたと言い伝えられる横浜最古の神輿で、毎年古式豊かに渡御され、天王祭として盛大に取り行なわれております。

2008年1月19日 訪問

鴨居の駅前の松○さんでワンコインの昼食(チャリ巡礼の自分で決めたルールです。グルメ散策ではないので)をとり、向かいました。
鴨居の杉山神社です。鴨居の駅そばの交差点を坂道側に進むと、左側に案内が見えてきます。狭いわき道に入ると、この先行き止まりの表示があり、突き当りを右に進むと鳥居がありました。
鳥居には『杉山神社』と書いてあります。その鳥居をくぐると右側に天満宮のミニ神社があります。ちょっと寄ろうと右に曲がります。小さな祠の左側に学業成就を祈願した絵馬がいくつかぶら下がっていました。鳥居のあるメインの参道に戻り、本堂に向かう石段を上りました。


案内板
鴨居天満宮
明治の中頃、岩岡時次郎の姉妹が産後の肥立ちが悪く、祷んでもらったところ、天満宮と馬頭観音を祀ったら良いと言われた。九州の太宰府天満宮に行って相談した結果、御分霊してもらい、明治39年(1906年)に代表者7人により祀られ、太宰府天満宮宮司により入魂されたと伝えられている。以前は鴨居5丁目にあったが、都市計画道路の関係で平成18年9月に鴨居杉山神社境内に遷座した。
 平成18年(2006年)緑区チャレンジ事業  鴨居駅周辺まちづくリ研究会


境内に入ると、拝殿前で一人の男性が祈願中でした。しばらく待っていたのですが。なかなか終わりません。近づくとブツブツとお経のようなものをつぶやいています。神社では初めての経験です。神社にお経は無いだろうと、きっと、神社用の祈願の儀式のひとつなのだろうと。申し訳なかったのですが、ワタシも予定があったので、その横に立ち、お賽銭を入れて祈願をしました。

御由緒
当神社は宝徳元年(皇紀二一〇九年)の創建であり、それ以来この場所に鎮座ましまし、神社明細票には「明治八年十二月村社(旧社格)に列せられたり、明治二十四年五月五日神明社・稲荷社を合併せり」と記載されている。
杉山神社は鶴見川水系(帷子川を含む)を中心として集中しており「新編新編武蔵風土記稿」によれば七十二社あると云われているが、多摩川を越えた北側には全く分布を見ない。霊験あらたかな神社として往時この様に数多く建立された様である。延喜式の神名帳には唯一の延喜式内社として記載されているが、どの神社が該当するのか定かではない。
当鴨居は数十年前迄、戸数九十戸に満たない純農村であったが、創建の昔より大切にお護りして来た鎮守様であり、今後も心のよりどころとして尚一層崇敬の念を新にしなければならない。
側社として裏山の中腹に、大山阿夫利神社・榛名神社をお祀りしてある事を附記して御由緒とする。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-鴨居杉山神社

2012年5月5日 訪問
神社でのあのブツブツは何なのだろう?気になります。

杉山神社のフォローです。GWにいくつかの神社仏閣をチャリで巡りましたが、その中に杉山神社もありました。
ここは、新羽にふたつあるうちのひとつの杉山神社で、新羽の交差点のそばにあり、住所では新羽町2576がここの杉山神社ということになります。ちょっと狭っ苦しい感じはしますが、狭い参道ながら灯篭も列をなしていて趣のある神社となっています。 由緒詳細は不明(だいたい杉山神社は由緒不明が多いのが魅力のひとつでもあります)で、なんで鶴見川周辺に多いのかというところには結びついていないようです。
チャリを鳥居の横に置いて、散策させていただきました。 ・・・雨、ポツポツきました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-新羽2576杉山神社

案内板
御由緒
杉山神社の史籍に於ける初見は延喜式神名帳に(今より一〇七〇余年前)武蔵国都筑郡杉山神社とあり、当時の由緒は明らかでないが、口碑に伝えるように其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折 日本武尊この地方を御通過され 尊崩御の後村民其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う。明治六年村社に列格 同四十一年村内の無格社荒神社 熊野社 皇大神宮を合併し 大正九年神饌幣帛料供進社に指定された。戦後宗教法人として今日に至る。

2012年5月3日 訪問