ノーヒント、まったくの偶然で見つけたのがこの碑です。『おこない』がよかったからでしょう!頼朝の妾で、彼女の兄は比企能員。彼は北条時政の屋敷で暗殺にあい、その一族は抹殺。丹後局のこどもは、元服して惟宗忠久と名のったとか・・・成長して島津三郎と名のり、九州の大名となったとか・・・
こんな諸説を信じたり、騙されたりするのも、歴史散策の楽しみです。自分の頭の中に組み込まれている中世の物語としてしまっておきます。
碑文
源頼朝ノ愛妾丹後局ノ事蹟ヨリ起リシモノナリ 丹後局ハ頼朝の寵愛厚ク妊娠ノ身ト成リ夫人の政子ノ嫉妬ヲ碎ケテ当地ニ至リ伊勢宮ノ瑞籠ニ隠レテ憩フ處ニシテ男子出生又丹後局安産ノ蹟ヨリ丹後山ト称セリ又丹後局ノ墓ト言伝エテルル塚有リテ局終焉ノ地ト思ハルル処ナリ爾来幾星霜ヲ経テ当地ハ急激ナ発展ヲ来シ団地造成開発ナルルニ当リ塚ヲ改葬シ永ク古蹟ヲ遺スト共ニ局ノ霊ヲ慰ムル為共有者一同供養塔ヲ建立スル者也
2007年6月23日 訪問




