案内板の云い伝え、大姫の事は、頼朝と政子を追いかけていくと必ずと言っていいほど出てきます。その大姫の供養のための地蔵尊とのこと。ふつう、供養するとなると堂宇を建てたとか、お寺を建てちゃったという話を聞くのですが、地蔵尊というのは?今までの巡礼から、供養で地蔵尊が建つのは、亡くなった方が若い人の場合が多そうです。大姫も二十歳ころに亡くなっているので、供養は地蔵尊だったのでしょうか?当時のにぎやかだった化粧坂に近いところにあり、落ち着いて眠れていたのかしら?と思いました。
ネットで昔の建物の写真を見つけました。そのホームページの管理人の方に許可をいただきましたので、掲載いたします。
案内板
岩船地蔵堂
亀ヶ谷辻に建つこの堂は、古くから頼朝の娘大姫を供養する地蔵堂と言い伝之られてきました。
木造地蔵尊の胎内の銘札にも『大日本国相陽鎌倉扇谷村岩船之地蔵菩薩者當時大将軍右大臣頼朝公御息女之守本尊也』との記述があり、続けて元禄三年に堂を再建し、あらたに本像を造立した旨が記されています。『北条九代記』にも、許婚との仲を裂かれた姫が傷心のうちに亡くなったこと、哀れな死を悼む北条、三浦、梶原など多くの人々が、この谷に野辺送リしたことが記されています。
このたび堂を再建し、本仏石造地蔵尊を堂奥に、今なお、ほのかに紅をさす木造地蔵尊を前立像として安置し、供養いたしました。
心ある方は、どうぞご供養の合掌をなさって、お通リください。
平成十三年十一月吉日 海蔵寺
2008年4月12日 訪問





