巡礼を楽しむ レキササイズ season 4 -28ページ目

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

車通勤の途中にあります。
境川と環状四号線の間にあって。境川に並行して走る道です。
案内板にあるように、鳥居のそばに地蔵尊や庚申塔が集められています。
四角形の対角線のような感じで境内の中に道があり、拝殿につながっています。
ここにも鐘楼がありました。

案内板
境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源義朝を主神に宇迦之御魂大神・大山咋神です。伝承によると、飯田五郎家義がお祀りしたといわれています。縄文時代、境川沿いは入り海で、神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口土器が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には、地蔵像・七観音像・庚申塔・道祖神が立っています。
泉区役所

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-泉区飯田神社サバ

2006年4月15日 訪問

数年前、桜の散る参道を通り過ぎ境内に入りました。最初に目に付いたのは枝垂桜をカーテンにした鐘楼と大きな日蓮の像でした。やはり目立つだけあって、どちらについても案内板に説明がかいてありました。


案内板
 この寺は縁起によると、はじめ孝徳天皇の白雉3年(652)に明光比丘尼(ひくに)が立てた庵で明光が亡くなり、その後、大同年間(806~810)に辨通(べんつう)が天台宗福昌山明光寺と称して寺にしたといわれています。
 弘安5年(1282)9月17日に日蓮上人がここに一泊し、その寺の住職文教は、教化をうけて改宗し、寺名も蓮昌山妙光寺と改め、日蓮上人を開山とし、自らは二世となりました。
 宝徳4年(1452)、相州瀬谷郷に住んでいた山田伊賀入道経光が大壇那となって、正中2年(1325)鋳造された武州恩田(緑区恩田町)の萬年寺の梵鐘を寄進しました。この梵鐘は、中世の関東地方で活躍した鋳物師の物部氏の一人守光の作で、神奈川県の重要文化財に指定されています。
 境内には、明光比丘尼の開基堂、江戸時代、瀬谷村に釆地を賜った鷹匠長田白政の墓碑があります。

(社)横浜国際観光協会
 横浜市教育委員会文化財課
 平成2年3月 

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-瀬谷妙光寺

2006年4月8日 訪問


明光比丘尼:
瀬谷区の民話では明光比丘尼がある日居なくなり、庵の中に墨染めの衣をかけた大きな石があったということで、明光比丘尼が石になったと悟り、この石をお詣りするようになったということです。
当時、お茶を薬として飲んでいたので、お茶をお供えするそうです。
この石は、長津田大石神社のご神体、大和市深見要石とともに三奇石といわれるそうです。


日蓮:
言わずもがなの人物ですが、気になったのは彼は1282年10月に亡くなっています。その年の9月17日にここに泊って、そのとき教化、改宗となっているということは、このお寺が、生前の日蓮の影響で改宗した最後のお寺なのかもしれません。
9月18日、武蔵国池上宗仲邸(現在の本行寺:大田区)へ到着していることから、その日のうちにここから大田区まで行ったことになります。かなりの距離があります。
想像するに、このお寺から八王子街道に出て、中原街道にはいったのだと思います。
1日中歩き続けたのでしょう。


長田白政(おさだあきまさ):
源義朝を尾張知多半島・野間で抹殺した長田忠致(おさだただむね)の家系のようです。
この近辺には義朝公を祀ったサバ神社がいくつかあり、何らかの関係があるのかもしれません。


パンフレットより
孝徳天皇の白雉3年(652年)明光禅尼の開基。弘安5年(1282年)9月17日、日蓮大聖人の御一宿を賜り、時の住持が大聖人の教化を受けて改宗する。これより蓮昌山妙光寺となり今日に至る。

スタンプ台帳は各お寺で購入可能とのことでしたので、ここでスタンプ台帳を手に入れました。
スタンプは自分で押して、お値段無料です。
この頃、まだご朱印の存在すらしらなかったので、七福神巡りは、スタンプラリーの感覚でいました。

パンフレットより

ダルマ大師 臨済宗建長寺派 相岱長天寺
 当山は臨済宗建長寺派の寺院で、ご本尊は釈迦牟尼佛。室町時代の応永元年(一三九四)二月十五日の開創。奇端『横浜瀬谷八福神』のダルマ大師は釈尊以来二十八代インドの高僧。中国に渡来し武帝に謁見後少林寺に面壁九年。断腎の二祖慧可に法を伝え、禅宗の初祖と仰がれる。世寿百五十歳といわれ、七転八起の縁起ダルマで民間に親しまれている。


入り口を間違えて、裏口にたどりつきました。そのおかげで、裏口のそばにある横穴古墳跡の案内板を見つけたました。正門から来たら、まず見つけることは不可能です。幸運ということで、そちらも寄ることにしました。横穴古墳跡は狭いスペースに小さな祠が建てられています。その後ろに『八剣大明神』と彫られた石碑があります。
もっと広い場所で、横穴が復元されていることを期待していたのですが、ちょっと残念です。

お寺に戻り、境内に入り本堂に近づくと、かわいい顔をしたダルマ大師の石像がありました。


案内板 平成10年3月  瀬谷区役所

瀬谷村役場跡(長天寺)
長天寺は臨済宗建長寺派に属し、室町時代の応永元年(1394年)2月15日宝林宗薫大和尚禅師によって開山、開基は平本六郎兵衛であると伝えられています。
明治22年(1889年)5月27日の市町村制の公布にもとづいて、瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、瀬谷村となり、初めての村役場をこの長天寺の客殿に置きました。この客殿は、大正5年(1906年)に新しい役場が建設されるまで使用され、3村が合併された際の初代村長は守屋平輔でした。
 
横穴古墳跡
明治39年(1906年)3月、長天寺の北側に隣接したところで当地の平本彌太郎が農作業中に人骨3体・直刀及び鍔3点・金環2点・琥珀の棗玉3個・鉄轡1個を発掘しました。出土品から飛鳥時代・白鳳時代(604年~708年)頃の相当高貴な人の墳墓と推定され、大切に保管されていましたが、のち、東京国立博物館に収蔵されました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-瀬谷長天寺

2006年6月4日 訪問

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-瀬谷八福神パンフ 瀬谷区八福神巡りとは?
七福神巡りはよく聞きますが、
瀬谷区では八福神巡りとして開催されています。
七福神にダルマ大師を加え八福神としています。


瀬谷というと、中原街道、環状四号線といった新旧の大きな道が通っています。環状四号線にある海軍道路は桜並木が見事です。

環状四号線に並行するように境川があります。

環状四号線が通ってからけっこう開けてきました。

子どもの頃はカブトムシは瀬谷に捕りに行くものと思っていました。

今は一部に自然公園が残っていて、そこで20年ほど前にカブトムシを見つけたときは感動しました。今ではきっといないですね。


市役所に確認したのですが、現在の寿老人は全通院ですが、その前は三ツ境の近くにある最長寺が寿老人だったそうです。


いろいろごちゃまぜの巡礼です。ワタシのあきっぽく、整理整頓の苦手な性格からだと思いますが、おつきあいをお願いいたします。

(マップ:相鉄線のパンフレット)

横浜市内の神社仏閣をメインに巡っていたので、ここを巡ったのはワタシの神社巡り人生がしばらくたってからです。ここも大和市になります。

大和市ホームページより
<『新編相模国風土記稿』には「鯖明神社 村内鎮守トス 寛文十年十二月ノ棟札アリ 眞福寺持 鐘楼 鐘ハ 寶暦四年造」とあります。左馬頭義朝を祭神とし七サバ参りの一社にあたります。
<常夜燈>
寛政元年銘の常夜燈(写真右)には「鯖大明神」と記されています。『風土記稿』に記述がある眞福寺は鯖宮山と号する真言宗の寺で、かつては左馬神社と深いつながりがあったようですが、大正末期に廃寺となり、詳しいことはわかっていません。(下和田1110)
※七サバ参り:境川沿いには、「サバ神社」と称する神社が多く存在します。サバの字は鯖、左馬、佐馬、佐婆などの字を当てますが、多くは源左馬守義朝を祭神としています。そのうちの上和田、下和田、高倉、今田、下飯田、上飯田、瀬谷の七つのサバ神社に参拝する「七サバ参り」は、疱瘡、麻疹、百日咳に御利益があるとされます。


通勤の抜け道で通ったことが数回あります。泉区から、境川を渡り、藤沢町田線にでるために利用しました。
山の切通し的な狭い道を登っていく途中に神社があります。入り口は、木に囲まれ、昼間でも暗い狭い道。神秘的な雰囲気をかもし出しています。神社の説明は、案内板がなかったので、大和市ホームページより抜粋しました。ここも源義朝がまつられているようです。一方、その昔は鯖という字を使っていたそうです。

雨上がりの日に行ったので、境内はぬかるんでいました。
ここにも鐘楼があります。神社に鐘楼・・・。この組み合わせは、意外と見ることがあります。

話は飛びますが、ご朱印帳にお寺と神社がまざっていてもいいのでしょう。神社に鐘楼があるくらいですから・・・と思いました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-大和市下和田サバ

2009年7月4日 訪問 大和市下和田