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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

とあるのどかな日に訪問しました。
横浜は南区なのですが、なぜか磯子七福神めぐりの福禄寿ということになっています。
前の大きな通りは、その昔・・・ワタシが小中学校いや、高校まで市電が通っていました。ワタシが当時住んでいた町で、このお寺のそばの『中村橋』を通学に使っていました。当時の様子は、目をつぶれば浮かんできます。
お寺ですが、のどか、のんびりです。絵を描いている方もいます。

戦国時代天文5年(1536)に創建されたといわれています。
京都仁和寺から「妙法山観世音寺」の山号寺号を賜った寺です。
石川帯刀源家重の開基、伯父の順清法印を京都より迎え開山したとのこと。

1703年南関東大震災で堂字倒壊再建。
1923年関東大震災で本堂庫裡倒壊再建。
1945年戦災消失。
1974年本堂完成。

横浜市観音三十三所の30番
市内弘法大師二十一所の10番
東国八十八ヶ所の54番
磯子七福神の福寿尊

2006年4月30日 訪問

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-弘誓院福禄寿

*以下磯子七福神です。
弁財天:海向山 岩松寺 金蔵院
毘沙門天:禅馬山 密厳院 真照寺
布袋:竜頭山 明王寺 密蔵院
恵比寿:明王山 不動院 宝積寺
福禄寿:妙法山 観世音寺 弘誓院
寿老人:青龍山 寶生寺
大黒天:医王山 金剛院
磯子七福神は、大正七年(1918)に磯子区、南区の7つの寺社に祭られました。

ワタシは競輪はしませんが、花月園という名前は知っていました。

競輪の花月園のすぐそばにあります。
この日もレースがあったようで、ガードマンが大勢いました。
花月園に向かう道路の混雑とは対照的にお寺は静かでした。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-東福寺

2006年8月14日 訪問

複数の霊場の札所になっていました。
新四国東国八十八ヶ所霊場 14番目
武相28不動尊 20番目
旧小机領三十三観音霊場 10番目
玉川八十八ヶ所 30番目

八福神巡り用のスタンプも堂の縁側?に置いてあるだけです。
八福神巡りというイベントがなければ、めったに来る人もいないのではないかと思ってしまいます。

2006年4月8日 訪問

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-全通院寿老人

案内板

下瀬谷分教場跡(勢至堂)と大藤
明治22年(1889年)の市町村制の実施により瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、一村となりました。この合併により瀬谷小学校の通学区域が広くなったため、低学年児童の通学の便を考慮して、明治23年(1890年)11月に分教場をこの全通院勢至堂境内に設けました。この分教場は昭和18年(1943年)の学区改正によって廃校になるまで、50年にわたり数多くの児童が通学しました。
また、この境内には「横浜市の名木古木」に指定されている藤の大樹があり、その花の咲く頃は誠にみごとなものです。
全通院勢至堂は曹洞宗瀬谷山徳善寺別院として、勢至菩薩を本尊として祀っています。
相模国深見村の中丸左源太が、一夜霊夢に導かれ鹿島神社の旧跡から勢至菩薩の像を発掘し、全国を巡礼し喜捨を請け、徳善寺に納めました。その後、この全通院阿弥陀堂に遷座したと伝えられています。屋根の改修時に発見された棟札には江戸時代の寛政9年(1797年)に現在のお堂が建立されたと書かれていました。
地元では「お勢至様(おせっさま)」「勢至堂(せしどう)」とも呼ばれ親しまれています。12年に1回、午年の8月23日に開帳されます。
 平成10年 3月   瀬谷区役所


相模国深見村の中丸左源太の霊夢<お勢至様(おせっさま)>:
左源太の夢に仏様が出てきて、掘り出すように告げました。
左源太は土の中から金色の仏像を掘り出して、洗い清め、村のほこらにおまつりしました。
再び左源太の夢に仏様が出てきて、今度は、一緒にほかの村々を回ってくれるよう告げました。
左源太はほこらの勢至菩薩を厨子に背負って各地を巡り、仏の教えを広めました。
勢至菩薩は全通院の勢至堂に安置され、おせっ様と呼ばれるようになったということです。


1月と8月の23日は縁日が開かれるそうです。
午年はまだまだ先ですがご開帳には是非来てみたいと思います。
大藤は毎年咲くでしょうから、6月に花見に来たいと思います。


瀬谷八福神巡り 結願

中原街道沿いにあるお寺です。ここにも日蓮さんの像がありました。

案内板より

宋川寺の大樹 夫婦銀杏(瀬谷町一四六六番地)
中原街道瀬谷問屋場跡(瀬谷町一五六三番地)
宗川寺は寛永乙丑年(一六二五年)富士重須本門寺第十二世日賢上人開山、開基は石川宋川である。
山門を入ると左右の夫婦銀杏は昔から縁結び、安置祈願の信仰を受け、近所より多くの参詣があり、いまは横浜市の名木と指定された大樹である。

中原街道瀬谷問屋場は天正六戌寅年(一五七八年)小田原北條氏の関東経営の駅路として、中原街道瀬谷に問屋場が設けられ、のち、徳川氏の江戸開府により駿河国山宮西谷の住人石川彌次右衛門重久(虎之助)が問屋場の運営を幕府より託され、江戸-平塚間五駅の中宿、瀬谷駅の問屋場として、江戸時代二七〇年にわたって、中原往還の道筋の人馬諸貨物の運送、継立てにその役割を果した。(これより東方八〇米、桧林がその跡である。)
昭和五十四年三月 瀬谷区役所

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-宗川寺福禄寿

問屋場(といやば):
江戸時代の街道の宿場で人馬の継立、助郷賦課などの業務を行うところ・・・。よくわかりませんが、東海道五十三次の宿場とまではいかないのかもしれませんが街道の中継地点になっていたのだと思います。
設けられたのは1578年(天正6年)ということなので、江戸時代の微妙に前になります。石川弥治右ヱ門重久に経営が委嘱されたということで、石川家の歴史そのものかもしれません。


中原街道:
中原街道と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからでかつて日蓮も利用したという記録もあるようなので、相当古い街道ということになります。
ワタシもチャリ巡礼で利用することがあります。
2006年4月8日

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-炎環 政子という名前も、頼朝が亡くなり、従三位となったときに政子としたとのことであり、姉妹の名前も正確ではない・・・と思います。そんなことはどうでもいいのですが、五人の姉妹の嫁ぎ先と、その運命がまた興味が湧いてきます。
以下、『いもうと』で出てくる名前と嫁ぎ先です。血縁関係を大事にしていたことが、いろいろな意味で興味深く感じます。嫁がせて相手を油断させて・・・という意味合いもあったのかもしれません。阿野全成(義経と同母兄弟)は誅殺されているし、畠山、稲毛は北条に滅ぼされているし、血縁が安全保障にはならなかった中世です。
政子 源頼朝
保子 阿野全成
高子 足利義兼
元子 稲毛重成
栄子 畠山重忠

全部で4編から成っています。阿野全成、阿波局(保子)、梶原景時、北条義時の物語です。
これと『北条政子』で『草燃える』の原作になっていたようです。
平安末期から中世への変化点を生きた役者たちの人間模様が楽しめる物語でした。