平子(たいらこ と読むそうです)氏の有長は、あの『曽我兄弟仇討』で有名な曽我兄弟と、最初に切りあった方だそうです。彼は大けがを負い、この近辺で療養したとのことです。三浦一族とルーツは同じだそうです。
中世の頃、このあたりは海辺であったのだろうと思います。今では、このお寺から海辺へ行くには、そうとうな距離があります。ワタシが子どもの頃の磯子も、京浜東北線の線路のそばまで海でしたが、現在は、そこからも海岸線はだいぶ奥まっています。『磯』のあった形跡は皆無となっています。
案内板
高野山真言宗禅馬山三郷院真照寺は、寿永元年(1182)、源頼朝の御家人で「吾妻鏡」にその名前が見える平子平馬丞有長の再興した寺であるといわれています。
有長は、建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りの折、曽我十郎と切りむすんだ人です。
平子氏は、中世末期、小田原北条氏が関東に進出するまで、現在の横浜市域のうち、中区・南区・磯子区を領有していました。平子氏の館跡が真照寺の境内を含む地域であろうといわれています。
(社)横浜国際観光協会 横浜市教育委員会文化財課 平成4年3月
平子平馬丞有長:
三浦一族とルーツを同じくする源頼朝の御家人。三浦大介義明の父為継の兄弟、為通の系統。有名な「曾我兄弟仇討」で、敵と最初に太刀を合わせ負傷し、勇者として名を残す。この傷をこのお寺で療養したといわれています。平子一族の菩提寺とし、毘沙門堂を建立した。毘沙門堂に祀られた毘沙門像は、有長の影像といわれています。久良岐郡内の平子郷が苗字のルーツで、 郡内の地名には 石川・禅馬(磯子)・戸部・永田・根岸・本牧・蒔田・横浜などがあるそうです。
(宝生寺伝)
小学生のころにはまったく興味のなかった地元の歴史ですが改めて楽しませてもらっています。
2006年4月30日 訪問