源氏物語の作者『紫式部』の式部が、父・藤原為時が勤めた官職の一つ『式部丞(しきぶのじょう)』に由来しているという説は、ご承知の通りです。「あれ?為時さんは出世して越前守(国守)になったのに、何故?…」と思うかもしれませんが、『…式部』自体が通称と言うかアダ名のようなものですから、呼びやすさとか、語呂の良さで決まったものという理解で良いと思います🙇 

 さて、その式部“丞”とか越前“守”という役職ですが、律令制では⬇のように4段階(等級)あったことも有名ですよね。いわく、『カミ・スケ・ジョウ・サカン』と覚えたと思います。
実はこの『4等級制度』ですが、現代の官庁や会社の役職等とも繋がっています。『局長(本部長)→部長→課長→係長』のように、社長とか次官・長官や重役(専務とか常務とか)等を別格…律令制でも参議〜大臣は別格の公卿でしたから…として、4段階になっていますよね。重役だって『社長(会長)→副社長→専務→常務』なんて4等級ですし、律令制でも『大臣→大納言→中納言→参議』となっています。

  日本の律令制による官制は、明治維新後の『内閣制度』が発足するまで1,200年近く続きました。鎌倉時代とか江戸時代になっても、名目だけになっても存続したのです。明治新政府が『太政官制』に改めた…云々の説明があって誤解されがちですが、廃止・新設(陸・海軍省等)されるケースはあっても、制度の骨格は変わらなかったのです。
そしてその役職の呼び方も、字は変わってもやっぱり『カミ・スケ…』の4等級でした。例えば、赤穂浪士のリーダー大石“内蔵助(くらのすけ)”の助は『内蔵寮の次官(級)』を指し、長官は『内蔵頭(…かみ)』でした。 

 同様に、為時が勤めた式部省の長官『式部卿』は『しきぶ(の)きょう』と読んだりしますが、正しくは『しきぶ(の)かみ』ですし、清少納言の夫(橘則光)が一時務めた『修理亮(しゅりのすけ)』は修理職の次官(級)で、長官の『修理大夫』は『…だいぶ(たいふ)』が一般的ですが、式典等では『…かみ』と呼ばれました。よく、『…だいぶ(たいふ)と読むのが正しく、…たゆう(だゆう)は間違い』とする説明がされたりしますが、実はそれも慣用表現に過ぎず、間違ではないけど正解ではないのです。 

 さらに、石田三成の『治部少輔』(治部省の次官級)も『…しょうゆう』ではなく『…しょうすけ』、源頼朝が呼ばれた『スケ殿』は『右兵衛府(うひょうえふ)』の次官(級)の『右兵衛権佐(…ごんのすけ)』であり、長官はやっぱり『右兵衛督(…かみ)』でした。
他には、織田信長が使った『弾正忠』や松永久秀の『弾正少弼』は弾正(だんじょう)台の役職で、長官は『弾正尹(…いん/かみ)』、次官級が『弼(ひつ/すけ)』、3番目に『忠(ちゅう/じょう)』となります。 『守・卿・頭・大夫・督・尹…』と字は変わっても『かみ』、『介・輔・助・亮・佐・弼…』は『すけ』、以下の等級でも同様ですから、逆に官職が違ってもその順番は分かり易くなっていたと言えるかもしれませんね。 

 ちなみに清少納言の『少納言』ですが、これは古代中国で置かれた『御史』という、官吏の監察業務を行った職をルーツにしていると言われていますが、日本ではザックリと詔書等の文書作成・管理、御璽や太政官印等の管理等々、天皇の秘書役的な役職でした。呼び方は『しょうなごん』は一般名で、式典等での『すないものもうす』が正式です。 

 これに対する大納言(及び中納言)は古代中国の『御史大夫(ぎょしだいふ)』という、官吏の監察(=御史)業務の責任者であり、皇帝の側近として『政策立案・意見具申(諫言)』を行う要職をモデルに設置されたとも言われますが、御史大夫が宰相に次ぐ『亜相』と呼ばれたように、日本でも大臣に次ぐ『亜相』として扱われました。『だいなごん』が一般的ですが、式典等の『おおいものもうすのつかさ』が正式であり、『物申す司(大夫)』との呼び方から、やはり『意見具申』=天皇に諫言することを求められた役職だったのかなあ…と推測されます🙇 



 『律令制(大宝律令・養老律令)では諸官司(官庁・役所)は4つの等級に分かれており、地方行政単位である“国”(越前や近江等)の行政官にあたる国司の場合は、上から「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」となります。各定員は国の格によって変わり、「介」がいない場合もあります。
 奈良時代までは、国司はすべて中央の人です。「守」「介」は五位以上の貴族が、「掾」「目」は六位、七位の人が務めました。任期は6年で、連帯責任になります。これが律令国家における国司だったのですが、10世紀のはじめに国家体制が変わり、これに伴って「守」だけが受領(ずりょう)という責任を取る立場となりました。
 そして中央から下向するのも、基本的には「守」だけとなり、任期は4年に短縮されます。「介」は中央から赴任する場合もありますが、多くは現地の有力者です。任用国司というのですが、しばしば郡司(※郡の役人)を兼ねます。「掾」「目」は、現地の人が務めるか、中央の下級官人が名目上、これに任じられるかです。…』(本文より)




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