『論破』ということばが、一時期かなり流行したようですが…

 『論破』≒『言い負かす』ときの、最高のことばは『それがどうした』、あるいは『私はそうは思わない』ではないでしょうか。何を話していても、どんなに懇切丁寧に根拠等を示して説明しても、「それがどうした、オレはそうは思わない」と言われたら、それで全てが終わってしまいますよね。それで相手や、その周囲にいる人たちが『勝った』とばかりに増長されたら…ホントに腹が立ちます。

 だから私は塾の先生時代も、会社(医療法人)でも、地方議員や国会議員秘書になってからでも、生徒たちの前でも議論の場でも、極力それを使わないようにしていました。

 60〜70年代に流行したことばに、『ナンセンス』(意味が無い、つまらない)というのがあったそうです。これも先の論破のことばと、同じ類だと思っています。何を言っても「ナンセンス!」と否定して、当時の若者世代は喜んでいたのでしょうか。

いや、それでもその世代の人たち、世界中が『学生運動の春』と言われた彼らには、社会の不条理や不公平に対する熱い怒りの発露があり、『ナンセンス!』は体制派のありふれた常識論に対する、アンチテーゼとしての役割を果たしていたと思うのです。

 同じ時代に、中国では『文化大革命』(文学運動)の嵐が物凄い勢いで吹き荒れていました。学生運動と同じくらいの世代が、『毛沢東語録』だけを手にとって、『毛沢東のことばだけが正しい。それだけを信じていれば、私たちは必ず幸福になれる』と、改革派や開明派と呼ばれる政治指導者や知識人に向かって『自己批判』を強要し、リンチや、時には殺人まで行って排除して行きました。

 日本でも70年代初頭、極左運動家たちが『自己批判』等と言って、同志たちを凄惨なリンチにかけた事件が起こりましたよね。私は『自己批判』という言葉も、それを他人に言われることも大嫌いです。 

それはともかく…この二つの流れが拡大していくのに共通していたのは、『現在の体制に対する怒りと、変革への熱望』だったと考えます。故に、後に『革命』と冠されたのだと言えるのです。しかし、その中身は180度違っていました。

 欧米で起こった『学生運動の嵐』はまさに、近代民主主義の根本である『選択の自由と権利』を、権力から守り抜こう、取り戻そうとする運動だったでしょう。そこにある、不平等と圧力への抵抗でした。

 しかし、中国のそれは、逆に『権力を奪還しようとする毛沢東の策謀』であり、「知性などいらない。盲従する人間だけで、国家は成り立つ」とする、『反知性主義』を象徴する暴挙だったのです。これは、毛沢東の死去によって一時頓挫…文革の生き残り指導者たちの巻き返しによる『開放主義』によって、ある程度改善されたと見られましたが、現在の習近平政権は、あの文革を行う側で経験した人たちで構成されており、今の中国が70年代に回帰しているように見えるのも、彼らが受けた影響の大きさを表していると考えられます。

 そして、現代の日本でも、これと同様の現象が起きているのではないでしょうか。知性を嗤い飛ばし、嘲り、「それがどうした」と否定してみせることを『論破』と読んで、カッコいいと称賛する。揚げ足取りや、誰かの受け売りを繰り返したり、自分に都合がよく気持ちの良い情報だけを積み上げて、相手を非難すれば良しとするやり方はただの『反動』であり、『ことば遊び』に過ぎないと思うのですが、それがカッコよく見えるのは、『ことばの圧力の強さや勢い』にあるのだろうと思うのです。

 論拠を示すには相当の調査や、思考の時間を必要とします。知識を集めそれを組み立てるには、肉体的な負担もかかります。知性とは、その場の雰囲気で出せるものではないのです。それを、一方的にまくしたて、脅すかのような口調で反論を迫られれば、どこかでことばに詰まるときが必ず来ます。相手に対して、否定と疑問だけを繰り返すのはとても簡単です。それをさらに根拠づけながら説明することは、本当に重労働なのです。

それでも彼らは、言葉に詰まった相手に対して『俺達が勝った。俺達が正しい』と、優越感に浸るのでしょう。まるで、文革運動で知識人たちを血祭りにあげた学生たちのように。 

その動きを助長してきたのが、第二次安倍・自民党政権政権と、それにぶらさがる利権団体や『反動右翼』勢力だったと、私は繰り返し話してきました。彼らが決して現体制を否定していないこと、さらには現政権の意向に沿って行動していることが、その証明であると考えています。

 差別や偏見をばら撒いたり、社会的弱者や権力と繋がる側からの被害を訴えたりする人たち、あるいは冤罪事件に巻き込まれて再審を求める動きには激しい非難や攻撃を加えながら、権力側の見解には決して異を唱えない。反日とか、共産党に毒されていてるとか言いながら、権力者に繋がる(繋がっていると見える)勢力…例えば旧統一会などの反社会組織と断じられた団体や、芸能事務所のことなどには、一切触れようとしないことも、その根拠の一つだと言えます。

 今回の総選挙で、それらの勢力が一掃されることはありませんでしたが、旧安倍派の衰退などから、相当の打撃は受けたものと判断しています。『論破』などと…実はその表現も、本来の意味を示していないと知っていますが、軽薄な『ことば遊び』をするグループも含めて、総選挙以降の政治において『反動右翼』を助長させることが無いように願い、力を尽くして欲しいと私が支持した議員たちに働きかけるとともに、私も出来ることを努力してまいります🙇


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