『裏金疑獄事件』を取り上げる報道で、「旧福田派から続く安倍派は、かつては自民党政権で非主流派が長かったため、派閥として企業献金等の集金力が弱かった…」的な説明がされます。聞いていて、何だか「裏金や還流は仕方なかった…」と言い訳のように聞こえます。

『清和会(清和政策研究会)』の名称で1979年に設立された…と説明がされる『旧福田(赳夫)派』ですが、これは福田赳夫総理の時代の1977〜78年に『政治改革』を掲げ『派閥解消』が進められたためで、旧田中派を始め他の派閥はそれを機に『政策集団』として改組=看板を替えました…これが、自民党議員が派閥を『政策…』と呼ぶ根拠です…が、総裁派閥だった福田派は少し遅れて大平政権時にズレ込んたためで、実際は1960年代の『党風刷新連盟(懇親会)』以降、連綿と受け継がれて来ています。

元々福田赳夫は大蔵省(最後は主計局長)出身で、衆議員初当選は無所属でしたが、同じく無所属議員だった岸信介に師事して『岸派』の一員となり、その後自由党に合流しました。主計局畑らしく『堅実財政』を主張したので、大蔵省主税畑出身で『積極財政派』の池田勇人とはソリが合いませんでした。

岸信介政権下では福田は『プリンス(後継者)』として扱われ、大臣・政調会長・幹事長を務めましたが、岸退陣後の池田政権になると岸派は三つに分裂、その一つを『党風…』として福田が率いて、『派閥解消』等を唱えて池田と対立したため、反主流派として干されました。

佐藤栄作政権(1964年〜)では一転して主流派となり、幹事長・大蔵大臣等の主要ポストを歴任、派閥も優遇されました。佐藤は退陣後は福田を後継総裁に推したため、佐藤派は分裂(田中派と周山クラブ)し、総裁選では福田は田中角栄に敗れた(角福戦争)ので、再び田中政権で『反主流派』となります。しかしこの間に周山クラブや、河野一郎派から分かれた園田派を吸収して、福田派は党内第2派閥に成長しました。

田中が『金脈政変』で退陣、次の三木武夫総理時代に『ロッキード事件』が起きると、福田・大平・田中派がまとまって三木政権を攻撃(挙党協抗争)、衆院選に敗北した三木が辞任すると、ようやく福田が総理に就任します。この福田政権で、『派閥解消』・『政治資金規正法の改正』・『総裁選の改定』等々、政治改革が一応行われました。

福田政権2年の総裁選で、田中と組んだ大平正芳に敗れ(大福戦争)退陣すると、三木・中曽根派と連携した『反主流派』として、大平政権と激しく対立(40日抗争)。遂には内閣不信任案に賛成して解散・総選挙(ハプニング解散)にまで追い込みます。

選挙中に大平首相が病死すると、田中・旧大平と和解して、鈴木善幸内閣には主流派として参加しますが、田中との確執は根深く、次の中曽根政権では田中派が優遇されたため、福田派は非主流派扱いとなります。

これが、中曽根再選時の『二階堂(進)擁立事件』に繋がり、田中派は分裂(竹下派と二階堂G)することになります。そして、田中が病に倒れ長い対立も終結を迎えた頃、福田は後継者・安倍晋太郎に譲り『安倍派』に移行しました。

福田はその出身である大蔵省人脈から、金融(銀行)業界に強いパイプを持つとともに、毛並みの良さもあって戦前からの財閥系や戦後の大企業等、財界主流をスポンサーにしたと言われますが、『田中支配』は財界の流れも変えて行き、中曽根政権以降は竹下派が力を強め、福田の影響力も後退していきました。

中曽根は安倍を外相に起用して、『安倍派』を主流派に取り込み、続く竹下政権でも幹事長として主流派を形成しましたが、安倍の病死で派内は混乱から分裂(三塚(博)派と加藤(六)G)すると、海部〜宮沢政権では非主流派に。その間に『亀井(静)派』も分裂し、橋本政権時代に森喜朗が引き継いだ頃は、かつての最大派閥も半減、さらに安倍〜森も文教族と言われ関連企業が少ない分野、逆に言えば利権のバイブが小さかったため、派閥の維持・運営には相当苦労したと思います。そのため、パーティー券収入への比重が高まり、やがて『裏金づくり』が当たり前になって行ったのでしょう。

森が福田以来12年ぶりに政権に返り咲き、その後は現在まで総理・総裁派閥として財界との関係も良好、まさに『この世の春』を満喫していても、『いつか反主流派に転落するかもしれない』=『カネと権力を失う』との恐怖(悪夢)は消えなかったのかもしれません。安倍晋三が何故あれ程まで権力と利権を独占しようと躍起になったのかも、その裏が見えてくるようです。『恐怖は人を誤らせる』を、まさに地で行く結末になりましたね😡

私は決して福田赳夫を評価していませんが、少なくとも『金権政治』を否定していた『福田〜安倍派』の創業者は今の状況に怒り、泣いていることだと思っています🙇


#ストップ・ザ・自民党政権



裏金問題「安倍派」で拡大した訳と改革派への期待政治改革の裏で温存されていた日本的慣行

https://toyokeizai.net/articles/-/722502?page=3&s=09