『元老』…戦前日本の一期間、国内外の政治決定の舞台で表に裏に関与して、権威と影響力を持った人たちを指しています。

憲法上の規定がなく、権能が決まっていたわけでもない…一応『勅旨によって任命された』的な解釈もあるようですが…のですが、天皇の諮問に答え天皇を輔け、内閣総理大臣(首班)を奏請(指名)したり、『御前会議』に出席して意見を述べ、日英同盟(外交)や日露開戦(戦争)等の政治決定に影響を与えました。昭和になって敗戦まで存続した、総理大臣経験者を中心にした『重臣会議』(重臣)とは、権威の重みが違いました。

明治維新後の新政府では、『元勲』として西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・三条実美・岩倉具視を中心に政治や人事が行われましたが、明治10年前後には全て退場しており、その後『参議』となった伊藤博文たちが国政を主宰していく過程で、元老が成立していったと理解しています。

『元老』の共通点としては、①何より「維新戦争で重要な役割(参謀や指揮官)を果たした」ことが必須だったと考えられます。②次いで総理大臣や重要閣僚、陸軍参謀総長・陸海軍大臣等の軍部最高司令官を、繰り返し長期間務めたことも重要でした。結果として、伊藤博文(長)・黒田清隆(薩)・山縣有朋(長)・松方正義(薩)・井上馨(長)・大山巌(薩)・西郷従道(薩)・西園寺公望(公)の8名が『元老』と認められています。あれ?みんな薩摩か長州出身ばかりですね。やはり、明治維新が『薩長による倒幕』だったことの証明になると思います。

桂太郎は9人目に数えたり、外したりされますが、先の資格①を重視…戊辰戦争にも参加していますが、一般兵士のような存在でした…するか、②を優先…陸軍大臣・参謀総長・首相として日清・日露両戦争で功績がありましたから…するかの評価で分かれるようです。

逆に、西園寺も同じじゃないか?と思われがちですが、実は彼は維新(戊辰)戦争で公家の代表として「征討軍都督(司令長官)」…と言っても、飾りであったことは仕方ないのですが…を務め、岩倉具視からも認められた存在でした。まあ、公家出身者が1人もいないとバランスが悪かったことも、理由にあるかもしれませんが。

肥前の大隈重信や、土佐の板垣退助・後藤象二郎なども充分に資格がありそうですが、早い時期に政争に敗れて下野しており、その後は「自由民権運動」等を通して反政府的でしたので、やはり『元老』に加えられませんでした。大隈は、明治・大正で2回総理大臣を務め、「オレだって元老の資格があるはず…」と頑張ったようですが、最終的に『元老に準ずる』という曖昧…もっとも、元老そのものも曖昧なのですが…な待遇で満足したようです。

政治・外交・軍事のオモテとウラで影響力を発揮した彼らですが、伊藤が暗殺された他は、病気や年齢によって亡くなって行き、最後に西園寺1人が『最後の元老』として、昭和10年頃まで灯明を持ち続けました。大隈の件ばかりでなく、「元老を追加しては…」という話は何度もあったようですが、西園寺はそれを認めず、いずれ消滅することを良しと考えていたようです。そこには、西園寺がフランスに留学したり外交官を務めた経験も含め、政友会の元党首としての「近代民主主義」的な「立憲君主制政治」を志向していたことから、根底にある古典的リベラルな思想が、元老のような圧力勢力の存在を忌避していたからかもしれないと、私は考えています。

それに「元老を増やせ」という勢力には、総理経験者も含め、東郷平八郎元帥や寺内正毅元帥等々を加えようとか、多分に戦争による論功行賞の要素も強かったので、余計に嫌気が差したのかもしれません。こうして、西園寺の死によって『元老』は(望み通り)消滅しました。

その功罪はいろいろ挙げられますが、彼らは「維新の功績者」であり、国家体制=軍・官僚体制を創り上げた人たちなので、その権勢は昭和の権力者たちも及びもしない程だったでしょう。「重し・監視役」としては最適であったかもしれません。しかし、その分影響力を行使し過ぎたり、利権政治・宴会政治を増長させました。

ただ「オレ達が日本を創り上げ、護るのだ」との思いは本気の覚悟となって、政治・外交・軍事の緊張した場面では威力を発揮しました。日露戦争にあたって、伊藤が「いざとなったら一兵卒となって、鉄砲担いででもやり遂げる」覚悟を持って、米国との外交交渉(仲介=終戦工作)を指示したり、井上・松方が戦費調達のため英米と40年にも及ぶ債務交渉…返済が終わったのは、太平洋戦争間近でした…に成功したり、山縣・西郷は陸海軍の協力体制を強力に推し進め、参謀総長の大山自身が最高司令官として、満州の前線に立ちました。「戦争のやり方も、終わらせ方も知っている」ことは、本当に強かったと思います。昭和の時期に、このような識見・器量を持った人材を持てなかった…国家として作ろうとしなかったことが、日本の悲劇だったと思うのです。

戦後からしばらく、「敗戦を知っている」人たちが日本の再建・成長を牽引しました。政治でも経済の分野でも、「2度とあんな思いはしたくない…」との決意は強力な原動力となって、平和国家としての日本を創り上げたと思っています。

しかし今、それらを否定する勢力が「国のかたち」を変えようと躍起になっています。まるで『元老たち』が消滅して、成功体験だけしか知らない世代が、欲望のままに肥大化していった「戦前の日本」のようにです。改めて『元老』と呼ばれた彼らから学ぶことはとても多く、大切なのでは?と思っているのです。


『元老(げんろう)は、第二次世界大戦前の日本において天皇の輔弼を行い、内閣総理大臣の奏薦など国家の重要事項に関与した重臣である。明治初期に置かれた元老院と直接的な関係はない。…』(Wikipediaより)




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