おはようございます!

池上本門寺シリーズも6日目です。

このシリーズの初日(こちら)で敬虔な日蓮宗信者だった加藤清正の石段の寄進について書きましたが、霊宝殿の裏には加藤清正を弔った供養塔があります。

池上本門寺の山内では最大の宝篋印塔といわれており、大変立派な宝塔です。

この供養塔は加藤清正の娘で初代紀州藩主の徳川頼宣(徳川家康の十男)の正室となった瑶林院が、清正の38回目の忌日に当たる慶安2年(1649年)に建立したものです。

瑶林院はこの2年前に鐘楼(記事はこちら)を寄進するなど、父娘で池上本門寺と深く関わりがあります。





そしてこちらは五重塔手前にある供養塔で、加藤清正の側室であった正応院の逆修供養塔です。

寛永3年(1626年)に建立されました。

正応院は加藤家の2代藩主の忠広の生母でもあります。

逆修とは、生きている間に自分の死後に対してまたは自分より若くして亡くなった者(子や孫など)に対して冥福を祈る法要をいいますが、この供養塔は正応院が生存中に自身で建てたものと思われます。

現在は八層になってしまった供養塔ですが、もとは十一層あったといわれています。





御三家の紀伊徳川家と池上本門寺との関わりは、加藤清正の娘であった瑶林院からといわれています。

父である加藤清正の影響を強く受けた瑶林院は、鐘楼の寄進、父の供養塔建立を行ったことから、瑶林院が亡くなった際にはその遺骸が池上本門寺で荼毘にふされました。

夫である徳川頼宣が自ら瑤林院の霊柩を護って和歌山へ帰り、和歌山城近くの吹上要行寺に埋葬しましたが、池上本門寺にも墓所を設けました。

以降、池上本門寺は紀州徳川家の菩提寺となりました。

真っ赤な宝塔(記事はこちら)の裏手には紀州墓域があり、大きく立派な墓石がずらりと並んでいます。

幕府直系大名家の菩提寺として、その威容を示すものでした。





こちらの墓所はその瑶林院のものです。





こちらはお万の方(養珠院)の墓所です。

お万の方は紀州藩祖の徳川頼宣、水戸藩祖の徳川頼房(徳川家康の十一男、水戸黄門でお馴染みの光圀の父)の生母で、晩年の徳川家康に大変寵愛された女性です。

元より熱心な日蓮宗の信徒であった彼女の墓所は遺言により山梨県身延町の本遠寺にあるのですが、ここ池上本門寺でも弔われています。





紀州墓域には他に妙操院(11代将軍・徳川家斉の側室で14代将軍・徳川家茂の祖母)などの墓もあり、江戸藩邸で没した紀伊藩主の内室や関係者が埋葬されているそうです。

本来は加藤清正の供養塔のように、石柱で囲いが作られていたはずですが、劣化して撤去されたのか、大空襲の際に傷んでしまったのかわかりませんが、誰でも墓石側まで行くことができる状態になっています。

びっしりと並んだ墓地に佇むのは、少し怖い気持ちもありますが、多数の立派な墓石を眺めていると荘厳な雰囲気に包まれた気持ちにもなるのでした。

本日はこの辺で・・・つづく