おはようございます。

池上本門寺シリーズ2日目です。

さて96段の石段を登ると仁王門が建っています。

ここにはかつて国宝の山門がありました。

残念なことに東京大空襲で焼失し、昭和52年に仁王門として再建されました。





池上本門寺では、戦時中の空襲で山門だけでなく多くの堂宇や施設が焼失しました。

しかし、奇跡的に焼失せずに残ったものもあります。

その一つが高さ31.8mを誇る五重塔です。

この五重塔は慶長13年(1608年)に、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の乳母であった岡部局の発願で建立されました。





当初は鐘楼堂と対の位置に建立されましたが、5代将軍・徳川綱吉の命により現在位置に移動したようです。

この五重塔は関東地方では現存するものの中では最古であり、桃山時代から江戸時代初期にかけて建立された五重塔は全国でここだけです。


そして鐘楼です。

空襲で鐘楼堂は焼け落ち、鐘楼自体は破損したため、戦後に新しく鐘楼堂が再建された際、その脇に保存されました。

元々の鐘楼は加藤清正の娘、瑶林院が寄進したものです。





こちらは現在の鐘楼堂です。





そして節分の豆まきやお会式、初詣でニュースに出てくる大堂です。

祖師(日蓮)を祀ることから祖師堂とも呼ばれています。

加藤清正が慈母の七回忌供養のために建立されました。

しかし、たびたび火災に遭って焼失し、暴れん坊将軍こと8代将軍・徳川吉宗の寄進により再建されましたが、こちらも残念ながら戦災で焼失しました。





現在のものは昭和39年に全国の日蓮宗信徒の寄付により再建されました。

高さが27mもあり、マンションでいうなら9階建てに相当します。


その大堂の傍らには本門寺の宝物を収めた霊宝殿があります。

日蓮直筆の手紙や本阿弥光悦が揮毫した総門の扁額など貴重なものを含みます。

毎週日曜日に開館しています。





そして霊宝殿の隣には戦災から逃れることができた経蔵があります。

内部には八角形の回転する書架があるといわれ、五千余巻の経典が収められているとか。





広くて大きな池上本門寺のご紹介はまだまだ続きますが今日はこの辺で。

お楽しみにウインク