「アドラー心理学入門
」 ロバート・W. ランディン著
共同体感覚の本質は他人より優れていたいとする優越への希求 である、と解釈したのは、そうしないとこの書籍の項目の並びが不自然だからです。散々、劣等性や補償や優越への努力を展開してきて、共同体感覚は突然ポコッと現れます。それまでの論と強い繋がりがあると考える方が自然です。
社会全体を自分の肉体あるいは精神のように感じ、他人を自分の一部のように思うなど、そんなにできた人はいるはずないように見えます。
しかし、人は他者より優っていたいものです。だから自分の優越分野で他者の劣等をカバーすることは、うれしくて仕方ないことです。こう書くと身も蓋も無くて、いや私はそんなことかけらも思ったことがないと言われそうですが、それが優越への原動力です。
その代わり自分の劣った部分はより優れた他者に補ってもらえばいいのです。それでは悔しいので、さらに人はその補ってもらった部分を克服しようとするか、他の分野で他人に優越しようとします。
これが繰り返されて、社会は強化され、人類は発展し、めでたしめでたし、とはいきません。
日本だと、部分的であっても自分が他人より優れていると考えること自体が禁忌なため、共同体感覚は誰にも教わることなくひそやかに形成される必要があります。
私の考えた共同体感覚が正しければ、共同体感覚は日本的な概念でなく、むしろ日本の国民性からは遠い概念ではないか、と、思ったのは、モランさんの記事 についていたPINKさん(知らない人ですが)のコメントを見た時です。
良くも悪くも日本では、全ての人が同じ能力を持っていて、結果の差は努力によるものである、というのが建前です。それが国民の努力を促進し、経済発展につながったという側面はあるでしょう。それをひっくり返すことは社会運営基盤を揺るがすことです。
2月11日の記事。日本が悪くて外国がいいと言っているのではありません、念のため。共同体感覚は日本的な概念ぽいけどそうではないと言いたいのです。元々外国生まれだし。
共同体感覚の本質は他人より優れていたいとする優越への希求 である、と解釈したのは、そうしないとこの書籍の項目の並びが不自然だからです。散々、劣等性や補償や優越への努力を展開してきて、共同体感覚は突然ポコッと現れます。それまでの論と強い繋がりがあると考える方が自然です。
社会全体を自分の肉体あるいは精神のように感じ、他人を自分の一部のように思うなど、そんなにできた人はいるはずないように見えます。
しかし、人は他者より優っていたいものです。だから自分の優越分野で他者の劣等をカバーすることは、うれしくて仕方ないことです。こう書くと身も蓋も無くて、いや私はそんなことかけらも思ったことがないと言われそうですが、それが優越への原動力です。
その代わり自分の劣った部分はより優れた他者に補ってもらえばいいのです。それでは悔しいので、さらに人はその補ってもらった部分を克服しようとするか、他の分野で他人に優越しようとします。
これが繰り返されて、社会は強化され、人類は発展し、めでたしめでたし、とはいきません。
日本だと、部分的であっても自分が他人より優れていると考えること自体が禁忌なため、共同体感覚は誰にも教わることなくひそやかに形成される必要があります。
私の考えた共同体感覚が正しければ、共同体感覚は日本的な概念でなく、むしろ日本の国民性からは遠い概念ではないか、と、思ったのは、モランさんの記事 についていたPINKさん(知らない人ですが)のコメントを見た時です。
見ず知らずの他人がやって来たらゴハンを食べさせるか...?? 日本の都会人も田舎人も、これにホントはムッときて腹を立てる... と言うのは、ホントにこれが日本文化なんだと解りました。
全く逆にアラブ世界では、心底通り掛りの他人を招いてもホントにご飯を食べさせる事に喜びと誇りを持っている文化なんです...ここの所の寛容さは、要す るに寄って来た他人を労わらず、追い返せば外は砂漠で、殺す事になるという厳然とした厳しい自然の中で生き延びた人々の生存のための知恵に根ざした文化な のだと思います。 それが今でも砂漠地ではないアラブ諸国でも何も変わらず受け継がれているのです。この寛容さ、人間の優しさに大変に惹かれる訳なんですよねぇ...
全く逆にアラブ世界では、心底通り掛りの他人を招いてもホントにご飯を食べさせる事に喜びと誇りを持っている文化なんです...ここの所の寛容さは、要す るに寄って来た他人を労わらず、追い返せば外は砂漠で、殺す事になるという厳然とした厳しい自然の中で生き延びた人々の生存のための知恵に根ざした文化な のだと思います。 それが今でも砂漠地ではないアラブ諸国でも何も変わらず受け継がれているのです。この寛容さ、人間の優しさに大変に惹かれる訳なんですよねぇ...
良くも悪くも日本では、全ての人が同じ能力を持っていて、結果の差は努力によるものである、というのが建前です。それが国民の努力を促進し、経済発展につながったという側面はあるでしょう。それをひっくり返すことは社会運営基盤を揺るがすことです。
2月11日の記事。日本が悪くて外国がいいと言っているのではありません、念のため。共同体感覚は日本的な概念ぽいけどそうではないと言いたいのです。元々外国生まれだし。