Something Orange様
『あきらめたらそこで試合終了ですよ』という言葉の意味
 
 先日ミニブログ (コメント欄)に、
「『あきらめたらそこで試合終了だ』は良い言葉ということになっているが、ちゅうねんになっても仕事もしないでリコーダーの練習をし続けなければならない人生などまっぴらだ」
と書いたこともあり、上のエントリーが目に留まってしまいました。趣旨は、
「あきらめたら可能なことも不可能になる」
ということで、メジャーリーグのイチロー選手などの例を挙げています。
 当ブログを読み慣れている人なら、またこいつ屁理屈つけて反論しようとしているなと予測できたと思いますが、その通りです。
 
 そもそも私は不可能だと思ったら物理的に不可能になるとは思っていないのです。10代の頃はりんごの皮をむく のは自分には不可能だと思っていましたが、今はむけます。四つ割りでですが。ただ、そのむけなかった10代の頃に、
「むけないと思い込んでいるからむけないんだ」
としつこく説教されていたら今もむけなかったと思います。こう書くと
「本当はできるのに努力しなかっただけ」
と言われそうですが、その時できなかったのは確かだし、できるようになったのは努力したからではありません。
 
 りんごを丸のままくるくる皮をむくことは今は不可能ですが、いつかできるかも知れません。しかし
「できないと思い込んでいるからできないだけだ。できると思えばできる」
と怒られたら本当に一生できなくなるかも知れないので怒らないで下さい。
 
 今年もそうですが、私は何度か失業した経験を持っています。次の仕事が見つかるまでは
「絶対就職できる」
なんてとても思えず、私なんかどこも雇ってくれないんではないか、このまま飢え死にするんじゃないか、と毎日が恐怖に満ちていました。
 だからといって本当に雇ってくれるところがなかったなんてことはないし、飢え死にしたこともありません。そのことが、次への自信に繋がることもありません。また失業したら同じ恐怖に捕われるでしょう。
 
 ブログの初期に似たことを書いたらボコボコにされたので書きづらいのですが、
「心で思ったことが現実になる」
って、エスパーじゃあるまいし、そんなことはなかろうと思うのです。
 
 リンク先の話に戻ると、イチロー選手は野球が好きでプロ野球選手を目指していた、無数の少年たちの一人です。高卒でドラフト指名され、数年で活躍し始めた選手です。イチロー選手を例にあげられても、
障害者はみんな乙武さんみたいになれる はず、なれないとしたら努力が足りないだけ」
と同じくらい滑稽です。
 イチロー選手は東大を目指せるほど頭がよかったとも聞くし、そちらを選んだとしても別に「あきらめた」訳ではないでしょう。成功した人がその道一筋で決してあきらめなかった、という話は、無理やり伝説化されている気がしないでもありません。
 
 こういうことを書く度に、私は何か根本的に言葉の受け取り方、使い方を間違っているんではないか、それとも他の人は本当にエスパーなのか、と不安になります。
 
 
 11月21日の記事。「定型発達者の言葉は過去形も現在形も未来形もぐちゃぐちゃになっている」とミニブログに書いたけど、「できない」という現在形の時制を未来永劫に引き伸ばすのは極端だ。