先日話題にした 障害者の自責の念についての関連エントリーについたはてブ コメントに、こういうのがありました。
 
"「ぼくは誰かの助け無しには"普通"に働く事は出来ない.誰かの助けなんか欲しくないのに"普通"に働くことが出来ないのだから働きたくない」"これ俺/助力を求めるより自滅のほうが易くて安い/参考: http://tinyurl.com/kvcf66
 
 私もよく
家族にだけ迷惑をかけるニート>>>越えられない壁>>>多数に迷惑をかけるアホバカ労働者
と揶揄していますが、他人様に迷惑をかけてまで社会に出たくない、という考えも確かにあるでしょう。
 
 私も昔は
「自分なんていない方が会社のためになるんだ」
とぐしゃぐしゃになっていた時期があります。私のような人の中にはそこで働くのをあきらめる人もいるでしょう。
 
 私が踏ん張って続けられたのは、私が利己的な性格で、会社のために消えるよりも給料もらって自活を続けたいという欲求の方が勝ったからです。自分で生活費を稼げなくなったら飢え死にするしかない、と覚悟しましたが、意外と飢え死にしないものです。
 
 こう書くと、会社のために、社会のために、多くの人々のために身を引いてニートになった思いやり深い人々に襲撃されるのは明らかです。
「あなたは恵まれているだけ、私だってせいいっぱい努力したのだ、自分だけがんばったみたいに書くな」
と襲撃されるならまだわかりますが(していいという意味ではありません)
「努力が足りないだけ、努力努力努力」
と襲撃されるのが訳わかりません。ニートになったのは、思いやりかも知れないけど努力じゃないだろ。
 
 家にこもって社会に迷惑をかけない道を選ぶのか、迷惑をかけてもいいから社会に出る方を選ぶのか、こう問うと、
「努力して迷惑をかけないようにすればよいのではないでしょうか」
と何の解決にもならない回答が返ってきそうです。
 
 健常者は「差別しない」ことによる負荷をほとんど考えていなくて、
「障害者を差別しないこととは、健常者と同じにやることを強要すること」
だと思っている人までいて、双方にとって結論が出ていないようです。
 
 
 7月17日の記事。この問題は、誰もそう思っていない分、大きい。
「障害者が人の手を借りるのに自責の念を持つ必要はない」
と考えている人も、本当に自責の念のない障害者を前にすると
「障害を盾に取って怠けようとしているのではないか」
と疑惑するものだ。