さすがに今はそんなことはありませんが、
「○○を改めなくては」
と書くと
「○○はちっとも悪いことではありませんよ」
みたいなコメントが来ることがありました。私がせっかく(珍しく)反省して改めようとしているのに、全部ぺしゃんこです。
こうして後になってゆっくり思い出しながら書くと私の受け取り方も変だなと気づくのですが、リアルタイムでどう認識しているかというと
「○○はちっとも悪いことではありませんよ」
→「だから改める必要はない」→「改めることは間違いである」
になっています。
そのコメント者は心情的意味に対し、中庸精神に基づき△を返しているので、改めるという行動的意味については例によって何も考えていない のではないかと推測しますが、自信はありません。
発達障害児に
「学校の成績が良いことに価値があるのではない」
と言うと
「学校の成績が良いことには価値がない」→「学校の成績が悪いことに価値がある」
と解釈する、という話がありますが、
「学校の成績が良いことには価値がある」
という、言葉にすると嫌らしくなる常識を踏まえた上でそれに対する△を投げかけているのですが、×と解釈しているのですね。危険です。
漫画では
「美人は性格が悪い」「ブスは心がきれい」「学校の成績が良いと悪人」
など現実にはあり得ない △を設定していますが、それに加えて現実世界の人まで上記のような発言をすると
「なるほど、そうなのか」
と思ってしまうのも無理はありません。
参考記事: どす黒い空間 行動と心情 意思疎通を阻害するもの
5月14日の記事。一見かみ合っているように見えて、実はお互いに正反対の意味で受け取っている様子はまさにコミュニケーション障害。
「○○を改めなくては」
と書くと
「○○はちっとも悪いことではありませんよ」
みたいなコメントが来ることがありました。私がせっかく(珍しく)反省して改めようとしているのに、全部ぺしゃんこです。
こうして後になってゆっくり思い出しながら書くと私の受け取り方も変だなと気づくのですが、リアルタイムでどう認識しているかというと
「○○はちっとも悪いことではありませんよ」
→「だから改める必要はない」→「改めることは間違いである」
になっています。
そのコメント者は心情的意味に対し、中庸精神に基づき△を返しているので、改めるという行動的意味については例によって何も考えていない のではないかと推測しますが、自信はありません。
発達障害児に
「学校の成績が良いことに価値があるのではない」
と言うと
「学校の成績が良いことには価値がない」→「学校の成績が悪いことに価値がある」
と解釈する、という話がありますが、
「学校の成績が良いことには価値がある」
という、言葉にすると嫌らしくなる常識を踏まえた上でそれに対する△を投げかけているのですが、×と解釈しているのですね。危険です。
漫画では
「美人は性格が悪い」「ブスは心がきれい」「学校の成績が良いと悪人」
など現実にはあり得ない △を設定していますが、それに加えて現実世界の人まで上記のような発言をすると
「なるほど、そうなのか」
と思ってしまうのも無理はありません。
参考記事: どす黒い空間 行動と心情 意思疎通を阻害するもの
5月14日の記事。一見かみ合っているように見えて、実はお互いに正反対の意味で受け取っている様子はまさにコミュニケーション障害。