こすいのほとり様
西原理恵子氏の『食育なんて女をばかにしてる言葉』発言について思う。
 
 はてなの人ってこういう話大好きですね。私も大好きです。
「手間のかかった料理ほど愛情がこもっているのではないでしょうか」
と言う人は十中八九自分ではやっていません。昔は、こういうことを言う人は自分では一生懸命手間かけて料理しているんだろうな、それが否定されたような気になったんだろうな、と思ったのですが、いろいろあって、むしろ逆だと考えるようになりました。
 
 やっているという人でも
「私は『必要な時だけ』レトルトやインスタントを使います」(説教テンプレ より)
で、必要な時が週6日だったりして。
 
週4料理さん「あまり作れていなくてついつい買ってしまうのよ」
週1料理さん「それはよくないわ。手間のかかった料理ほど愛情がこもっているものよ」
 
 23秒に1回はこれに類似する事件が日本のどこかで起こっていそうですが、こうして勘違いが発生することもあるでしょう。勘違いという表現だと、一方が完全に正しく他方だけが間違っているような響きがありますが、双方ともその世界観の中では「完全に正しい」のです。
 
 先日の記事「意思疎通を阻害するもの 」で、勘違いというキーワードをもっと重大に考えないといけないと書きました。その後、相手が何言っているかわからない時
「この人は何か勘違いをしているのではないか」
と仮定したことで解決できた機会がありました。
 
 過去記事「問われず語れない 」に書いたように、人は相手の状況など全く考えずに発言するものです。
「自分だけが正しいと思って」「人の意見を聞け」「お前は間違っている」
と散々怒られる経験を重ねると、相手が勘違いしていると考えることが失礼で無反省な感じがしますが、指令として脳内に書きこまれる前のストッパーになるし、その後の会話の混迷もある程度避けられます。
 
 私の世界観の中で意味がわからない場合は、相手が勘違いしていることの方が多いのです。ただ相手の世界観の中では私が勘違いしているので、勘違いしていますよなどと言うと泥沼になりますが。
 
 
 3月18日の記事。本当に手間のかかった料理している人は自分が手間のかかった料理しているなんて言わないもんです。謙虚なだけの人もいるけど、他の人がもっと手間のかかった料理したら自分の価値が下がるではありませんか。中高生の
「(テスト前だけど)全然勉強してない」「ダイエットなんか必要ないよ、やせているじゃない」
と一緒です。
「手間のかかった料理ほど・・・」
なんて言う人は自分を学校の先生の立場だと思っている身の程知らず、自分が「生徒たち」に指令していることを自分は守らなくていいと思っている、すなわち「説教族」。こいつらの心根を知れば知るほどうざいです。