「アスペルガー症候群と非言語性学習障害 子どもたちとその親のために」
 明石書店 2,310円(税込)
 
 中心のズレは学生時代までであれば
「ユニークな発想」「個性的な視点」「天然ボケで面白い」
と好意的に評価される、こともあります。好意的に評価されると修正する機会を失ってしまいます。こう書くと
「それは修正しなくていいのでは」
と言われそうです。
 
 このシリーズの主たる参考文献である上記書籍のトレーニング例に
「子供と一緒にテレビドラマを見てその内容の中心は何だったか親子で話し合う」
というのがあります。見方が「間違って」いれば修正されます。のんびりテレビも見ていられません。
 本やドラマの内容は個人の趣味で楽しめばいいのではという訳にはいきません。誤った(定型発達者的に)見方を身につけると、将来コミュニケーションの行き違いを多発します。表面上の言葉の意味がわかればいいのではなく
「相手が要するに何が言いたいのか」
を見抜かないといけないからです。
 
 発達障害問題には「障害か個性か」問題がつきまといます。その個性が許されるような(活かせるような、ではない)環境や周囲の人に恵まれれば、私は他の 人に見えるものが見えないけれど、代わりに他の人に見えないものが見える、お互い助け合いましょう、みたいなことになれるのですが、現段階では運任せで す。
 
 療育においてもこの問題はあるようで
「よい部分をつぶしているだけ」
という批判もあります。1つの障害はいろいろなこととつながっているため、都合のいい場面限定で残す訳にはいきません。たいていは、長所を駄目にして短所は緩和される程度、で終わりそうです。
 
 周囲の理解があれば、と書けば
「理解してもらおうというのは甘え」「理解を求める前にまず自分が努力するべき」
という説教がどどっと来ます。
 ユニーク、個性的、面白いなど、生きていく上で役に立たないとは言いませんが、
「相手が要するに何が言いたいのか見抜く」
に比べると優先順位は低いです。
 
 私の情報組織化・系統化の回路は「切れて」いるかも知れませんが、代替ノウハウを築いてきました。それを全部壊して入れ替えて、新しいノウハウが機能する保証はどこにもありません。説教した人は私がそのせいで働けなくなっても
「人のせいにするな、自分で選んだことだろう」
とののしるだけでしょう。
 
 被害妄想が過ぎました。専門家はもっと上手に認知を正す方法を知っているのでしょう。正す、というのは定型発達者のようにするという意味ですが。 
 
 トン・・・トン・・・トン・・・ザクッ・・・タマネギを切った音であれば続く。今回が正念場。
 
 
 3月2日の記事。
「相手が要するに何が言いたいのか見抜く」
という表現だと、定型発達者の85%が
「それは自分にもある、うちの上司も何が言いたいのかわからない」
と返すと思われますが、それとは違います。
「気概が欲しいということです」
が要するに何を言いたいのか私にはわからなかったのです。その場にいた他の人にはわかったようでした。
 わかったという人たちと私と何がどう違っているのか、「わかる」という言葉の意味の違いなのか、言葉を指令と取るか発話者の感情表現と取るかの違いか、さらに別なことなのか、いまだにいくつかの説がありますが、そこまでたどり着くのに3年かかりました。