名前出してしまいますが、わたりとりさんの一言メッセージが波紋を呼んでいます。昨日の記事「地殻変動 」で、実は関係者の名前を出さずにそのことに少し触れようとしていたのですが、帰宅してパソコン開けたら収束に向かっていたので、内容から省きました。
 だから、タイトルと記事内容が微妙に合っていない風にも見えます。それならタイトル変えろよと言われそうですが、我ながらいいセンスだぜと思ってそのままにしてしまいました。
 
 ところがまた新たな波紋を広げているようなので、やっぱり書いてみます。解決しないうちに。
 わたりとりさんは記事を更新しなくても一言メッセージが頻繁に変わるので、私はそれを楽しみにチェックしていました。その内容が、特定の人に対する裏メッセージであるとは認識していませんでした。
 一連の波紋を見ていると、わたりとりさんの一言メッセージを自分宛と受け取ってギク、となっている人は、そう発言していない人も含めて多くいるのではないか、と推測できます。そういうものなんでしょうか。私もそれくらい愛されたいです。(違)
 
 今の一言メッセージ
「見に来なければよろしい。文字通りの意味で。」
は、あなたのサイトを見たくない、と発言していなければ宛先としては通らないので当然私宛ではないし、仮に私宛だとしたら
「自分が見に行くと動揺するようなサイトを見に行く必要はないよ」
と励ましてくれているとしか解釈できません。もしかしてすごいバカ? ご本人も
「あてこすりと受け取られても仕方ない」
と認めていらっしゃるので、自分宛でないにしてもそう読むのが普通かも知れません。
 
 これも昨日の記事に書いたように(ここにつなげたかったのだ)
「日本語はどうとでも受け取れる構造をしている」
からというのもありそうです。
 私も他のブログを読んでいてギク、となることはあるし、私の記事を見たんじゃないだろうな、と思うことはありますが、触発されたとしたらむしろうれしい ことです。明らかに私を非難しているのであればあてこすりではないし、わからなければあてこすりかどうかもわからないことになります。
 実は、あてこすられたとはどういう感覚なのかがわかっていないのですが、悩みが増えそうなので、知らないままでいいです。私がコメント欄で説教された時の感覚に似ているのでしょうか。
 
 わたりとりさんに限って、波紋に落ちこんだりはしていないと思いますが(ひどい)私はわたりとりさんの一言メッセージ好きだし何のことについて書いているのだろうと妄想するのも好きなので、これからも同じように続けていただきたいです。
 想定外に傷つく人がいると知ってしまうと、とても無責任なことは言えないのですが。
 
 
 7月19日の記事。何で、人に甘えるなと言う人は、甘えて生きることが許されるのだろう。こんなのに絶対甘い汁吸わせるべきでないと思うけど。 何か私がうるさい人で、こういう人たちは愛すべきバ○として見守られているみたいでムカつく。
 しまった、昨日の記事とかいって昨日の記事写していないや。内容はただのウダウダです。