努力投票の結果(Yahoo)は下記の通りです。いつもありがとうございます。お陰で努力の正体に近づけました。
  
時間 3人   やる気 4人   結果 1人   罵倒 0人   山ごもり 3人
 
 意外に拮抗したものの、やる気が1位とは、現実の厳しさが寒いです。他の選択肢に比べると具体性が薄く、やる気がない、と他人に決めつけられたら存在証明しようがありません。
 努力しろと言っている人は具体的な何かを想定している訳ではなくて
「気概で突き進め」
の時と同じく何も考えていない、というのが妥当な線なのだと思います。
 ブログで努力が足りないと言われたら、ああこいつ何も考えていないんだな、ということだし、会社で言われたら首を洗っておこうということです。
 
 大学院生の方のブログによると、何かできないことがあった時、能力ではなく努力と方法のせいにするのが 教育学的には模範回答なのだそうです。方法のせいだと、例えば仕事を覚える時だと教え方が悪いということになるので、努力のせいにせざるを得ないんでしょう。必ずしも本当に
「努力していない」
と信じているのではなくて、一種のコミュニケーションコードというか、何かのシンボルのような、要するに文字通りの意味ではないということです。
「努力はしています」「努力って何をすることですか」「それはやったんですけどできませんでした」
というのは怒られるだけだし、わかるのはこの人怒っているんだなということです。
 怒らせないようにするにはどうしたらいいのかと考えるのも無駄なことです。どうせ相手は何も考えていないのですから。裸の王様がどんな服を着ているか答えろ、間違ったら打ち首だぞ、と言われているようなものです。
 
やる気のあるニート >>> 越えられない壁 >>> やる気のないように見える労働者
 
ということでますます説教するニートを増長させる結果ですが、やる気のあるニートに自分がなりたいかというと、なりたくありません。私なら、自分が働いていないのに働いている他人様に
「あなたは努力していない」「甘えている」
などと説教するようなみっともない姿はさらしたくありません。
 
 ということは、私は望んで彼らに説教される側にいるということです。あんな恥ずかしい真似をするくらいなら、やる気がなくて結構です。説教は禁止ですが。
 明日からまた仕事です。日曜の夜は憂うつです。でも仕事がないともっと憂うつになるので、がんばって行って参ります。それが私の努力です。
 
 
 6月1日の記事。すごく昔のことのようです。