異文化交流議論
の頃、
「相容れないなら近づかない」
ということをよく主張しました。異質な他者との交流にはお互いあるいは一方に何らかの変化を促進することがあります。変化に耐えられないなら近づくべきではありません。
と書くのは簡単ですが、近づかないというのも、苦痛とまではいかなくても苦味が伴います。
「悪口言われてているんではないだろうな」(ネットなら書かれているんではないだろうな)
とかみみっちいことを気にしてみたり。自分を通したいなら相手にも権利があります。
どこからなら戦うべきなのか、サブブログが荒らされた時、その選択をしました。
「私が書くことが不快なら、見ないという選択をしていただけないでしょうか」
「ブログは誰でも見ることができるもの、来ないで欲しいというならブログに向いてないよ」
(自分のブログには私のPCから行けないようにアクセス制限かけて、ついでにコメント欄塞いでいる人)
私が今のキャラ(超攻撃的キャラ)になった瞬間です。こっちが平和的に済ませてやろうとしているのに、下手に出ればいい気になって、そっちがその気なら戦う以外の選択肢はありません。
こういうことがあってブログを閉鎖する心優しい人は多いでしょう。私だって訪問者様に性格の悪い人だと思われたくありません。
そこを踏ん張っても、半年くらい恐怖(何を書いても誰かに文句言われるのではないかという)でろくな記事が書けなかったし、訪問者もコメントも更新も段々減って、フェードアウトした可能性は十分ありました。
というか、今こうして書いていると、2:8くらいでそちらの可能性の方が高かったのではないかという気がします。よくがんばったな自分。周りの人もね。
なるべく戦わない方がいいのです。自分が滅びる可能性も低くないのですから。そうなったら、その人を好きな人が悲しみます。せめて無視か儀礼的無関心 へと願いたいですが、他人が止めることのできないものでもあります。
それにしても、
「ブログは誰でも見ることができるもの、来ないで欲しいというならブログに向いてないよ」
と言う人が自分のはアクセス制限していて、
「努力しないと始まらないのです」
と言う人がニートで、
「ブログを見る限り努力が足りない」
と言う人がブログを見る限り1日中ゲームしていて、
「私はこうしています」
と言う人が、自分のブログにそう書かれると私が駄目だと言いたいのかとキレていて、
「人に助けてもらうのは甘えだ」
と言う人が人に助けてもらって生きている、というのは、私の頭脳で理解するには余りあるブラックホールです。
5月31日の記事。こうして並べると愉快な人たちですね。自分がニートだと相手もニートだと思ってしまうのだな。私も全くプロフィールの不明なコメント者だと、自分と同じく働いている成人を想定してしまいます。違和感あるコメントを見たら
「こいつニートか」
と疑うようにするとよいですね。
「相容れないなら近づかない」
ということをよく主張しました。異質な他者との交流にはお互いあるいは一方に何らかの変化を促進することがあります。変化に耐えられないなら近づくべきではありません。
と書くのは簡単ですが、近づかないというのも、苦痛とまではいかなくても苦味が伴います。
「悪口言われてているんではないだろうな」(ネットなら書かれているんではないだろうな)
とかみみっちいことを気にしてみたり。自分を通したいなら相手にも権利があります。
どこからなら戦うべきなのか、サブブログが荒らされた時、その選択をしました。
「私が書くことが不快なら、見ないという選択をしていただけないでしょうか」
「ブログは誰でも見ることができるもの、来ないで欲しいというならブログに向いてないよ」
(自分のブログには私のPCから行けないようにアクセス制限かけて、ついでにコメント欄塞いでいる人)
私が今のキャラ(超攻撃的キャラ)になった瞬間です。こっちが平和的に済ませてやろうとしているのに、下手に出ればいい気になって、そっちがその気なら戦う以外の選択肢はありません。
こういうことがあってブログを閉鎖する心優しい人は多いでしょう。私だって訪問者様に性格の悪い人だと思われたくありません。
そこを踏ん張っても、半年くらい恐怖(何を書いても誰かに文句言われるのではないかという)でろくな記事が書けなかったし、訪問者もコメントも更新も段々減って、フェードアウトした可能性は十分ありました。
というか、今こうして書いていると、2:8くらいでそちらの可能性の方が高かったのではないかという気がします。よくがんばったな自分。周りの人もね。
なるべく戦わない方がいいのです。自分が滅びる可能性も低くないのですから。そうなったら、その人を好きな人が悲しみます。せめて無視か儀礼的無関心 へと願いたいですが、他人が止めることのできないものでもあります。
それにしても、
「ブログは誰でも見ることができるもの、来ないで欲しいというならブログに向いてないよ」
と言う人が自分のはアクセス制限していて、
「努力しないと始まらないのです」
と言う人がニートで、
「ブログを見る限り努力が足りない」
と言う人がブログを見る限り1日中ゲームしていて、
「私はこうしています」
と言う人が、自分のブログにそう書かれると私が駄目だと言いたいのかとキレていて、
「人に助けてもらうのは甘えだ」
と言う人が人に助けてもらって生きている、というのは、私の頭脳で理解するには余りあるブラックホールです。
5月31日の記事。こうして並べると愉快な人たちですね。自分がニートだと相手もニートだと思ってしまうのだな。私も全くプロフィールの不明なコメント者だと、自分と同じく働いている成人を想定してしまいます。違和感あるコメントを見たら
「こいつニートか」
と疑うようにするとよいですね。