いつから私は
「いつかつまらなくない自分になれる」
と信じなくなったのでしょう。
「強く念じれば夢はかなう」
なんてことはなくて、むしろ念じるほど逃げて行きます。好きな人を追いかけるほど逃げて行くのと一緒です。
 成功する秘訣は成功するまでやることだ、と聞きますが、ずっと成功しなかったらどうなるでしょう。小説のモデルにもなった、何十年も司法試験を受け続けた人みたいになるのでしょうか。
 
 大学の勉強は職業に直結するような学問ではなかったので、就職の時に履歴書に書けるような資格を取りたいと思いました。
 英検2級を持っていたので、準1級を取ろうと勉強して、何度か試験受けたけど合格しませんでした。英検の試験は1年に2度しかないので、何度か受けているうちに大学4年生になっていました。あっという間です。
 就職活動の時、履歴書に書けた資格は高校で取った英検2級だけでした。英検準1級が夢だった訳でもなく、ほんの通過点で、大学時代を捧げるほどのものではなかったはずでした。何していたんでしょう。3年あればもっと別なことができたでしょうか。
 
 また努力が足りなかったのではと言われるかも知れませんが、大学の勉強も私には結構大変だったし、サークル活動やバイトのような大学生のうちに経験して おかなければならない必須科目もあります。1つのことにより力を注ぐということは、その分他の可能性を失うということです。
 サークル活動もバイトもせずに勉強に打ちこんだ割には大した資格を持っていないし成績も悪いというのは、新卒の就職活動においては最悪です。
 
 希望がかなわなければ
「努力が足りないだけ」
それで全てを失えば
「自己責任」
と言っていればいい人に、無責任なことを言われたくありません。
 
 人生はこんなものでしょう。一握りの人だけが夢をかなえ、その人たちが
「成功の秘訣は努力です」
と語るので、努力すれば結果が必ず出ると思いこむ人々が大量生産されます。
 
 漫画「結婚しなくていいですか 」の主人公が習い事を迷うシーンで
「この月謝を老後の貯蓄に回した方がいいのでは」 → 「老後のために今を犠牲にし過ぎていないか」
のせめぎあいが登場します。
 老後のために生きているのではない、けれど、現在のために生きるのと未来のために生きるのとどっちが正しいのか、私には答えられません。学生のうちは、 学ぶのが好きだから学ぶというよりは将来のために学ぶという度合いが大きいし、それを否定したら成長もなくなるというのは本当でありましょう。
 
 若者には
「いつかつまらなくない自分になれる」
と信じて頑張って欲しいとおばちゃん化する一方、自分はもっと早く知りたかったとも思うのです。
 努力すれば夢はかなうと煽っておいて、希望の仕事をしたいからと会社を辞めれば
「今時の若者は根性がない、ないものねだりばかり」
はあんまりです。
 
 
 5月11日の記事。あの輝かしい日は帰らないけれど、人は過去を夢見て生きることもできる、と
「世界の中心で愛を叫ぶ」
のレビューで書いたっけ。それは不幸なことではないのです。