すぐ下の弟にカラマーゾフの兄弟を読んでいると自慢した時に
「変人の父親と粗暴な長男とインテリの次男と誰からも愛される三男の話」
と紹介したら
「うちみたいだな」
と言われました。
「俺インテリの次男」
私が粗暴な長男かい。それ以来長男に感情移入傾向です。2巻には長男全然出てこないのですが。
 
 1巻のレビュー から2ヶ月、カラマーゾフを読む会(いつ発足)の他のメンバーはとっくに全巻読み終わっていると思いますが、私も昨日やっと2巻を読み終えました。ブログ上で読むと宣言していなければとうに挫折していたであろう勢いです。
 こういう長編はある程度一気に読まないといけませんね。章ごとに、しかも何日もおいて読んでいるとつながりがわからなくなります。
 
 主人公である誰からも愛される三男は、小説でなければいないであろう善意の人です。善意といえば説教族 です。そう思うとこの三男も説教族っぽく見えてきます。善意を拒否されても
「あの人の本心ではないはず」
というのがそれくさいです。
 
 しかしお金を上げようとしているところは説教族の基準には当てはまらないでしょう。説教族の善意は説教するだけで、自分の身を削って人に与えるという発想がありません。私にもありませんが。
「自分の身を削って人に与えると徳が高くなる」
という発想はキリスト教的なんでありましょうか。日本だとこういう人が物語に登場すると違和感があって、
「意地悪に見えたあの人は本当は優しい人だった」
というパターンの方が見かけます。
 
 第5編のサブタイトル「プロとコントラ」が「肯定と否定」の意味であることは、後書きを読むまでわかりませんでした。プロとコントラの戦いの構図は、説 教族論で散々扱った善を巡る攻防とはなじみません。日本では支配者層の陰謀により善の意味が書き換えられたのでしょうか。
 
 助言 >>> 越えられない壁 >>> お金
 
てな風に。
「厳しいことが本当の優しさ」
は完全にイジメの発想 なんですが、
「本当にその人のことを思うならあえて厳しくすることも必要」
と普通にコメント欄(私のところではないが)に書かれているのを見ると、この思想の根深さに寒気がします。
 
 またストーリーを紹介していませんが、大してストーリーは進んでいない、ではなくて、ネタバレがあってもよくないので、このままの流れで行きます。このゴールデンウィークには、3巻をできるだけ読み進めたいです。
 
 
 4月27日の記事。お金をくれるならひれ伏しますぞ。3巻ですか。ええ、まだ読んでおります。ここのところデータ入力ばかりしていて目が痛くて。長男アホすぎてかわいそうです。