私の幼少(強調)時のヒット曲「およげ!たいやきくん 」が再発売されていますが、せっかく自由を手に入れたのに最後には食べられてしまうというちょっと悲しい歌です。子供の頃はそんなこと気にしていなかったのですが、大人になるとつまらないことが気になります。
「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ」
というおなじみの歌詞も、
「毎日焼かれているのは同じたいやきなのか」
と突っこんでしまいます。
 
 この世界の設定では、たいやきくんは食べられる度に、同じ店のたいやきとして生まれ変わってくることになっているのでしょうか。
 すると、最後食べられてもまた翌日には同じ店に生まれ変わることでしょう。また逃げるのか、今度はおとなしく焼かれてお客さんに買われていくのか、確かにずっとこれを繰り返したら嫌にはなりそうです。
 
 こげぱん は私の好きな絵本ですが、ここにもたいやきくんと同じ世界観が設定されているようです。お客さんに買われていくキレイパンを見送りながらパン屋の主化しているけれど、いくら何でもカビるでしょうから、宿りパン(?)は入れ替わっているはずです。
「どうせ捨てるんでしょ」
やさぐれて、新入りのキレイパンをいびっても、ピュアな心を持つ(パンの心って?)キレイパンはこげぱんを尊敬していて、そのことにこげぱんはさらに引け目を感じます。新卒社員をいびるお局のようです。(がーん)
 
 こげぱんは何度生まれ変わってもこげぱんなのでしょうか。いつかキレイパンになれるでしょうか。というかパン屋さんもたまには全部キレイに焼いてくれればいいのに。
 全部キレイパンに焼きあがったら、こげぱんは生まれて来れないのかも知れません。だったらこげたままでもいいのかなとも思います。(深い)
 
 明日はキレイパンになれるかも知れないと夢見ながら、目覚めた自分はこげぱんのまま、キレイパンになろうとあがくのもいいけれど、こげたパンも捨てたもんではない(いや捨てるかな)という、セルフエスティームなのです。
 
 
 4月25日の記事。はてなダイアリーで顔出しするとアイドルで、Yahoo!ブログで顔出しするとネットの怖さを知らない初心者ということになるのはイマイチ納得がいかない。