「私は障害を盾に取ったりしない。私の周囲の人は必要な時だけ私に手を貸してくれます」は次のうちどれに一番近いでしょう。
C 障害を隠して、人の手を借りている
D 障害を伝えて、人の手を借りている
E 見える障害なので、説明なしに人の手を借りている
F 外に出ず、家族の手を借りている
C3票、D9票、E3票、F1票でした。投票にご協力して下さった皆様、ありがとうございました。前よりは割れましたがDが過半数を越えていますので、Dの
「障害を伝えて、人の手を借りている」
に決定とします。
気概投票結果 と組み合わせると
「私は障害を盾に取ったりしない。私の周囲の人は必要な時だけ私に手を貸してくれます。障害が何だという気概が欲しいということです」
=「私は障害を伝えて人の手を借りています。障害にあたる部分を直す必要はありません」
ということですね。あれ?
気概 = 開き直れ = 障害を公表せよ
という説もあったから、文字通りの意味としてはこれでよさそうです。
言葉は面白いです。暗号みたいです。現時点での仮説ですが、この文意を逆に伝達する記号がどこかに埋めこまれているのでしょう。
「アスペルガー症候群をめぐるネット事情 」より。
私は何とか自立できているけれど、それは周りの人のお陰でもあるのだから、努力すればできると言って、就労困難な人を追いつめる立場には絶対なるまい、 と思っていたのですが、実際は私が追いつめられる側で、私より社会適応できていないと思われる人が追いつめる側になっていました。
というか上のような主張をする「自立した当事者」は実在するんですか。
障害を盾に取るの解析をしているうちに、上の文意も、
「自立した当事者は、自助努力により社会適応可能と考えている」
ではなく
「自助努力により社会適応可能と考える当事者が、自立した当事者」
なんではないかと思い至りました。ニートでも上のように主張すれば、自立していないのに自立しているかのように見えます。(また説教襲来か?)
同じように
「あなたは障害を盾に取っている」
と言えば、まるでその人は障害を盾に取っていないかのように見えます。努力努力と他人を説教する人に限って自身は努力していないという説もこれでうなずけます。私のように素直な者は
「私は自立していなかったのか」「私は障害を盾に取っていたのか」
と思いこまされてしまいます。言葉の定義の範囲が広いほどこの作戦は有効です。広く取れば、誰にも助けてもらわない人間はいません。
自分がどうか、に意識が集中してしまうと、発話者がニートであることを知っていてもその情報がどこかに吹っ飛んでしまいます。自分より社会適応できてい ない人を追いつめないようにしよう、というルールはその時点ではまだ有効でしたから、反撃もできません。今は無効にしてあります。説教する弱者 限定で。
「悪意ではない」 = 「悪意である」
が成立するのと同様
「私は障害を盾に取ったりしない」 = 「私は障害を盾に取っている」
が成立すると考えるべきでしょう。(怖いので反論禁止)
関連記事 : 障害を盾に取るとは 障害を盾に取るとは2
3月2日の記事。「障害を持っている人間が障害を持っている人間にしか発せない類の言葉」は海は青さんのコメントですが、それだけに反論するとこちらが悪者になります。もう悪者でいいから、こんな言葉は絶対許しません。
C 障害を隠して、人の手を借りている
D 障害を伝えて、人の手を借りている
E 見える障害なので、説明なしに人の手を借りている
F 外に出ず、家族の手を借りている
C3票、D9票、E3票、F1票でした。投票にご協力して下さった皆様、ありがとうございました。前よりは割れましたがDが過半数を越えていますので、Dの
「障害を伝えて、人の手を借りている」
に決定とします。
気概投票結果 と組み合わせると
「私は障害を盾に取ったりしない。私の周囲の人は必要な時だけ私に手を貸してくれます。障害が何だという気概が欲しいということです」
=「私は障害を伝えて人の手を借りています。障害にあたる部分を直す必要はありません」
ということですね。あれ?
気概 = 開き直れ = 障害を公表せよ
という説もあったから、文字通りの意味としてはこれでよさそうです。
言葉は面白いです。暗号みたいです。現時点での仮説ですが、この文意を逆に伝達する記号がどこかに埋めこまれているのでしょう。
「アスペルガー症候群をめぐるネット事情 」より。
>1.自立した成人当事者
>その大部分はAS者を特別扱いするべきではなく、本人の自助努力により社会適応は可能と考えている。当事者として、表で活動している人にはこのタイプが多い。
>その大部分はAS者を特別扱いするべきではなく、本人の自助努力により社会適応は可能と考えている。当事者として、表で活動している人にはこのタイプが多い。
私は何とか自立できているけれど、それは周りの人のお陰でもあるのだから、努力すればできると言って、就労困難な人を追いつめる立場には絶対なるまい、 と思っていたのですが、実際は私が追いつめられる側で、私より社会適応できていないと思われる人が追いつめる側になっていました。
というか上のような主張をする「自立した当事者」は実在するんですか。
障害を盾に取るの解析をしているうちに、上の文意も、
「自立した当事者は、自助努力により社会適応可能と考えている」
ではなく
「自助努力により社会適応可能と考える当事者が、自立した当事者」
なんではないかと思い至りました。ニートでも上のように主張すれば、自立していないのに自立しているかのように見えます。(また説教襲来か?)
同じように
「あなたは障害を盾に取っている」
と言えば、まるでその人は障害を盾に取っていないかのように見えます。努力努力と他人を説教する人に限って自身は努力していないという説もこれでうなずけます。私のように素直な者は
「私は自立していなかったのか」「私は障害を盾に取っていたのか」
と思いこまされてしまいます。言葉の定義の範囲が広いほどこの作戦は有効です。広く取れば、誰にも助けてもらわない人間はいません。
自分がどうか、に意識が集中してしまうと、発話者がニートであることを知っていてもその情報がどこかに吹っ飛んでしまいます。自分より社会適応できてい ない人を追いつめないようにしよう、というルールはその時点ではまだ有効でしたから、反撃もできません。今は無効にしてあります。説教する弱者 限定で。
「悪意ではない」 = 「悪意である」
が成立するのと同様
「私は障害を盾に取ったりしない」 = 「私は障害を盾に取っている」
が成立すると考えるべきでしょう。(怖いので反論禁止)
関連記事 : 障害を盾に取るとは 障害を盾に取るとは2
3月2日の記事。「障害を持っている人間が障害を持っている人間にしか発せない類の言葉」は海は青さんのコメントですが、それだけに反論するとこちらが悪者になります。もう悪者でいいから、こんな言葉は絶対許しません。