「私は障害を盾に取ったりしない。私の周囲の人は必要な時だけ私に手を貸してくれます」は次のうちどれに一番近いでしょう。
C 障害を隠して、人の手を借りている
D 障害を伝えて、人の手を借りている
E 見える障害なので、説明なしに人の手を借りている
F 外に出ず、家族の手を借りている
投票(トップページ 下段)のコメント欄より。
できないことを
「本当はできるんでしょう」
と疑われた時、障害者側にそれを証明する責任があるのかと思うと気が滅入ります。できることは証明できても、できないことを証明する のは大変です。信じてくれない人は絶対信じないでしょう。できないと言えばやる気がない、こうすればできますと言えば口答えした、と責められ、途方に暮れたものです。
前の投票の時の記事、気概メモ2 にも書いたように、説教言葉をそのまま受け取って
「人の手を借りるのは甘えだ」→「私は人の手を借りていたのか?」
状態になっていましたが、よく考えたら私は誰かの手を借りないと生きていけないとかそういうことはないのでした。私が望むのはただ1つ、
「絶対怒らないで欲しい」
です。
覚えは悪いけど自分の理解記憶の仕方はわかっている、リコーダーは吹けないけれど、吹けなくたって生きていける、しかし怒られるのです。
できないことを自力で証明(というか相手を納得させることが)できない限り、
「怠け者、努力が足りないだけ、障害を盾に取っている」
と非難され続けるのだという現実の前に、段々原点から遠くなってきましたが、私はブログを開設した当初、
「こういう障害があるとみんな知らないからびっくりして怒り出すので、知っていればノー問題」
とお気楽に考えていました。誰かが私に似た人に出会った時、思い出してくれたらいいな、と。たまにそういう報告を聞くと救われます。
その人が本当に「ただの怠け者」だったとしても、配慮して損することはないでしょう。説教する人は損すると思っていそうですが。
また怒られたら怖いから書かないようにしてきましたが、自分を滅ぼそうとするものとは戦う義務もあります。説教対策として強調しておきますが、私は現実 世界では障害のことを人に言っていないので、障害を理由に「人の手を借りた」り「配慮をいただいた」ことは1度もありません。
2月15日の記事。ちょっと気になったのでコメント写しておく。
「○○を盾に取ったりしない」「○○を盾に取るな」(○○にはなにかしら弱者属性が入る)という発話の構造は、興味深いです。いくらでも応用がききそう。そこには、隠されたしかし強烈な、人の「自立」コンプレックスがあるように感じます。(わたりとりさん)
自立コンプレックス?
C 障害を隠して、人の手を借りている
D 障害を伝えて、人の手を借りている
E 見える障害なので、説明なしに人の手を借りている
F 外に出ず、家族の手を借りている
投票(トップページ 下段)のコメント欄より。
「見えない障害」の場合は【人の手を借りる】ことよりもペースを合わせてもらうとか、できないことをできないと理解してできない要求をしないでくれる、という【理解と配慮】の方がよっぽど必要なことなので。
“自分で出来ることまでも(障害があるからと)人の手を借りている”という状態をさしているのかなと思いました。
できないことを
「本当はできるんでしょう」
と疑われた時、障害者側にそれを証明する責任があるのかと思うと気が滅入ります。できることは証明できても、できないことを証明する のは大変です。信じてくれない人は絶対信じないでしょう。できないと言えばやる気がない、こうすればできますと言えば口答えした、と責められ、途方に暮れたものです。
前の投票の時の記事、気概メモ2 にも書いたように、説教言葉をそのまま受け取って
「人の手を借りるのは甘えだ」→「私は人の手を借りていたのか?」
状態になっていましたが、よく考えたら私は誰かの手を借りないと生きていけないとかそういうことはないのでした。私が望むのはただ1つ、
「絶対怒らないで欲しい」
です。
覚えは悪いけど自分の理解記憶の仕方はわかっている、リコーダーは吹けないけれど、吹けなくたって生きていける、しかし怒られるのです。
できないことを自力で証明(というか相手を納得させることが)できない限り、
「怠け者、努力が足りないだけ、障害を盾に取っている」
と非難され続けるのだという現実の前に、段々原点から遠くなってきましたが、私はブログを開設した当初、
「こういう障害があるとみんな知らないからびっくりして怒り出すので、知っていればノー問題」
とお気楽に考えていました。誰かが私に似た人に出会った時、思い出してくれたらいいな、と。たまにそういう報告を聞くと救われます。
その人が本当に「ただの怠け者」だったとしても、配慮して損することはないでしょう。説教する人は損すると思っていそうですが。
また怒られたら怖いから書かないようにしてきましたが、自分を滅ぼそうとするものとは戦う義務もあります。説教対策として強調しておきますが、私は現実 世界では障害のことを人に言っていないので、障害を理由に「人の手を借りた」り「配慮をいただいた」ことは1度もありません。
2月15日の記事。ちょっと気になったのでコメント写しておく。
「○○を盾に取ったりしない」「○○を盾に取るな」(○○にはなにかしら弱者属性が入る)という発話の構造は、興味深いです。いくらでも応用がききそう。そこには、隠されたしかし強烈な、人の「自立」コンプレックスがあるように感じます。(わたりとりさん)
自立コンプレックス?