「私は障害を盾に取ったりしない。私の周囲の人は必要な時だけ私に手を貸してくれます」は次のうちどれに一番近いでしょう。
C 障害を隠して、人の手を借りている
D 障害を伝えて、人の手を借りている
E 見える障害なので、説明なしに人の手を借りている
F 外に出ず、家族の手を借りている
 
 前後で意味が逆になっているように私には見える、1行目のカギカッコ内。
「障害を盾に取っていないのに人の手を借りているとはどういうことだ? 人の手を借りているなら障害を盾に取っているんではないのか??」
と私でなくても思いますよね。思いませんか。
 
 気概の投票がうまくいったので、これも投票にしてみました。トップページ 下段からどうぞ。さらに、選択肢を作っていてひらめいた、説教するニートの発想。
 
 家族にだけ迷惑をかけるニート>>>越えられない壁>>>他人様に迷惑をかけるアホバカ労働者
 
 もしや彼らなりに正しいのではと思ってしまいます。日本人は他人に迷惑をかけないことに最も人としての価値を置くと言われます。職場で怒られまくった末働けなくなった人の中には
「自分など社会に出ない方が社会のためだ」「自分のような人間が働こうとすると迷惑をかけるだけ」
と考えてニートになった人もいるでしょう。
 
 私の考えでは、迷惑をかけてもいいのです。日本には勤労の義務と権利があります。それがいかんというなら法律を改正すべきです。と書くとたちまち怒涛のごとく説教がおそってきそうです。それは私にとっては迷惑なのですが、私に迷惑をかけるのは構わないらしいです。
「迷惑をかけるくらいならニートになれということでしょうか、それとも迷惑でも働いた方がいいのでしょうか」
と問いかけても、
「迷惑をかけないように働けばよいのです」
と対話にならないことでしょう。
 
 世間様にご迷惑をかけてはならないという立派な考えからニートになっても、家族、近所の人、親戚から無言の圧力をかけられたりして、精神的にもかなりきつそうです。私だったらとても真似できそうにありません。
 こう書いていると、ニートの方が立派みたいですね。私がだまされやすいのですが。これは
私は障害を盾に取ったりしない = 私はニートだ
説によるものです。
 
 
 2月11日の記事。「緩叙法」か「対照法」で読むといいのだそうですが、「緩叙法」か「対照法」で読めとあらかじめ指定してくれないと想像できない・・・のは私だけですね。自分で書いたコメントレスからですが、
「障害を盾に取っている」
は、 言葉自体が障害者にいつでもどこでも投げかけることができ、確実に痛手を負わせることができる弾丸です。この言葉はどんな場合でも絶対許してはいけない言葉であるという結論に導くために、今後も書きます。