発達障害者の悪い性質の1つに
「絶対自分の非を認めようとしない」
ということがあるそうです。謝らない人や人のせいにする人は頭にきますね。
 私にもそういうところはあるのですが、自分から見た一方的な世界観で説明すると
「自分の非」
といってもそれをした時には間違っていると思っていなくて、正しいと思ってやっている訳ですね。それまで正しいと思っていたことが間違いだと言われたら世界がひっくり返ります。それではアレもコレも後で間違いになることかも知れません。
 今にも崩れそうな地面の上で何とか足を踏ん張らせるため、違う、違う、間違っていない・・・いかにも説教されそうですね。
 
 責めないでいてくれれば状況を冷静に把握しようとすることもできますが、
「こうすれば絶対に怒られない」
というラインが存在する訳ではなくて、何かあると犯人探しが行われ、いつの間にか犯人にされていることもあるのではと私のひがみ根性が申しております。私は長いこと
「自分の非を認めない」
というのはほとんどの人の持つ性質であって、自分だけがそうではないし、むしろ他の人の方がうまく人のせいにしているという被害者意識の方が強かったのです。
 
 間違いを責められるという状況は2人以上のコミュニティで起こります。1人暮らしの私が買い物に出かけて牛乳を買い忘れたとしても、今日はいいやとあき らめることもできるし、どうしても必要ならもう1回出かければ済むことです。誰も私を責めたりしません。2人以上のコミュニティでは
「どうして買い忘れたの」「メモを取ったの」「今度からどうすれば忘れないと思う」
と責められます。こう書くと
「それは牛乳を買い忘れたあなたが悪いのではないでしょうか」
と説教されると思いますが、これは例えであって、私は牛乳を買い忘れて怒られた過去はありません。
 要は、非を認めることを迫られる状況は2人以上のコミュニティのみで発生し、自分1人で完結する世界では起こらないということです。
 
 もっと大人数のコミュニティ(職場など)だと事象はもっと複雑で、確実に1人の犯人が存在するとは限りません。そんなの防ぎようがないのではということでも
「こんなことが2度とないようにね」
と締めようとされてしまいます。は、それって私のせいだったんですか。
 上手に人のせいにするのも生きる力です。そしてそれは私よりも周りの人の方がずっと上手にできていると思っておりました。
 絶対自分の非を認めようとしないのはお前だけで他の人間は違う、という見方の方が正しいのでしょう。パニクっているとなかなか思い出しませんが。
 
 
 12月31日の記事。大晦日に書くには内容がアレだったのですが、お正月に書くともっとよくないと思って出してしまいました。結果的にはより印象的な記事となってくれてよかったです。
 コメントの返信にも書きましたが、 どんな時も何を言われても謝る、と決まっているならいいんですけど、それで全部私のせいということになってそこで仕事を続けられなくなったこともあって、それも虎馬になっています。