今のお友達は好きだしコメントもらうの楽しみですが、もし別なブログを別キャラで始めるとしたら、コメントは受けつけない設定にします。
 一方的に発信することはできるし、他の人が発信したものを読むことはできますが、コメント欄のやり取りのハードルは高いです。(私でなくコメントする方の)
 昔の記事を読み返すと、今なら絶対削除するであろうコメントがずらっと並んでいます。消した方がいいのか、当時の生々しい記録として保持すべきか迷います。迷っても消しているのですが。
 
 コメントについて、時々溜まった毒を吐き出します。どれだけうるさく書き続けても定期的に入る説教、否定、助言に、自分の中の基準がどんどん厳しくなります。大体は
「そろそろ削除せずに済むような対応をしなくては」
→いや、金もらって書いているならともかく、趣味でストレス溜めるくらいならコメント欄を塞ぐ
で終了します。
 
 ものを教える系コメントで困ることの1つは、管理人としてその真偽を確認する義務があるということです。自分のブログ内に他人の書いたデタラメがあっても平気だという人もいるでしょうが、私は嫌です。
 中には、ちょっとググッたくらいではわからないもの、関係各所に問い合わせたとしても本当のことを教えてくれないであろうこともあります。調査の負担が大きいので削除です。
 
 繰り返しますが、他人のブログに書いてあってもいいのです。読んで嫌になることはありません。どのRSSがお勧めかという記事を読むことは簡単ですが、コメント欄に
「ライブドアがお勧めですよ」
と書かれたら、私はライブドアのRSSを自分で使ってみなければなりません。
「それは気にしなくていいですよ」
というコメントが昔なら入ったものですが、そういう人は
「気にしなくていい」
と言われたら、足元をびっしりゲジゲジが這い回っていても、眠る間も騒音が70デシベルでも気にならなくなるのでしょうか。
「気にしなくていい」
というのは、自分を気づかってくれた人に返す言葉であって、困っている人にその困ったことを気にしなければ解決と投げかける言葉ではない気がします。
 
 できれば無難に返信したい、削除は避けたい、悪気はないと思われるので意図を読み取りたいという欲を出しては、返信を書こうとするうちにグルグルが始 まってしまうので、できるだけ早く、できればそのコメントを目にした瞬間、脊髄反射してしまいましょう。その時になるとためらいが生じてしまうのですけれ ど。
 
 
 11月10日の記事。脊髄反射なのはこの記事を書いたことなのですが、ルールが自分の中で厳格化していくと、コメントに傷つくのではなくてルールを守ってもらえないことにいらだったりします。