はてブで拾った障害者は介護者を喜ばせなければならないのか は賛否両論ある文ですが、高校で介護科に進学しても実習などを通して挫折し別な道に進む子も多いと聞いていたので、迷うことなく高校でも専門学校でも介護の勉強を続けてヘルパーになった人というのは本当に立派な人です。私には真似ができません。
 こういう人の情熱で劣悪な介護職業界が成り立っているのです。そのことには、一日本国民としても感謝しなければなりません。
 
 注目すべきことは、若くて純粋で一生懸命なヘルパーさんを批判することではなく、援助する側のされる側への
「一方的な暴力性」
のことでしょう。
 このヘルパーさんは優しそうなのでそんなことはないと思いますが、障害者が介護者に暴言を吐いたり、
「別な人に変えて欲しい」
と要望することは現実にある訳で、その時
「あんなに優しくしてやったのに感謝もしないとは何事だ」
という気持ちが全く芽生えないとは断定できません。そうであっても、こういう職業を選ぶ人はそれだけで立派な人です。
 
 闇に微笑む で おなじみの内緒罵倒の人が発達障害福祉に携わっていたことには、非常に興味を惹かれました。仕事とプライベート、現実とネット上の人格は別であってもいい のですが、その人はその仕事のことをテーマとし、常連さんにも先生と呼ばれていました。感謝の言葉、苦労をたたえる言葉であふれたゲストブック(それを眺 める陰湿な私)。
 
 福祉の仕事をする人を支えるのは、喜んでもらえることと、感謝の言葉だそうです。援助を与える側と受ける側の気持ちがが一致していればいいけれど、しばしば受ける側が本当は嫌なんだけど見捨てられるのが怖くて感謝の言葉を言い続けることはあるようです。
「本当は嫌なんだけどそれを言えなくしてしまう」
ことが、援助する側にそういうつもりがなくても、
「一方的な暴力性」
として存在するのが難しいところです。
 
 こうすれば感謝されるはず、という目論みが外れた時、それどころか嫌がられた時
「受け取り方が間違っている、私の深い思いやりに気づかないのは駄目人間だ」
という発想になられるとぞぞっとくるものがあります。ほとんどの人は一瞬そう思ったとしても胸にしまっておけるのでしょうけれど。
 
 
 10月19日。いろんな立場から考えさせられる一文でした。関係ありませんが、携帯電話も2年使うと塗装がハゲてきて、さらにハガしたくなってきます。