Yahooブログで新規投稿もしくは修正投稿するとお勧め記事が表示されるようになりましたが、聴覚障害者の職場でのコミュニケーションの難についての記事が出たと前に書きました
 その時のブログや、検索して出てきたサイトを見ますと、聴覚障害者の中でも少しは聞こえる、難聴の方の困難とその支援方法にはASと共通するものがあります。
 
 相当重度でなければ障害者手帳は交付されず、隠して就職することもあり、会議など多くの人が話す場では状況がつかめず、1対1のコミュニケーションでも大きな声でゆっくり話して欲しいとか適宜筆談を取り入れて欲しいなどの要望になかなか応じてもらえないそうです。本当に
「書いてもらってもいいですか」
というお願いは嫌がられます。こちらが言いがかりつけているかのように。
 難聴であることを伝えるのがよいとわかっていても、正社員ならともかく派遣や契約社員の場合は面倒くさい人と受け取られ、別な理由をつけられて雇い止めになることが怖いようです。
 
 いやはや。就職にも障害者枠がありますが、そこに含まれない、ほんの少しの配慮で普通に働ける人が通常枠で入りこんでくると、
「とんだ貧乏くじ引いた」「面接で言ってくれないと(そうすれば採用しなかったのに)」
となってしまうのではないかと妄想します。企業ですから、誰にも取って代われないほどすごい能力があるのでなければ、扱いの楽な人を採用したいに決まっています。ASと同じく、仮にカミングアウトしても
「集中して聞きなさい」「人に要求する前にあなたが努力するべき」
で終了になりそうです。そうなったら、協力は得られず差別は残ります。
 
 打ち明ける時点でギリギリに追いつめられているのに、打ち明けられた人にとっては始まりに過ぎず、そこから努力の証明をしなければならない絶望、証明しても証明しても
「まだ努力の余地はあると思うよ」
で突き放され、そのトラウマがネガティブと責められる悪循環。言わないでわかってもらおうというのは甘え、言ったら努力が足りないの八方塞です。(自分に重ね合わせた妄想です)
 
 私は小学4年の時、自分は難聴ではないかと考えました。親も
「そうかも知れないね」
と言いました。どこまで本気だったかわかりませんが、ちょっと耳の聞こえが悪いかもくらいは思っていたのかも知れません。しかし学校の健康診断では聴力は極めて正常で、全く難聴の気配はありませんでした。
 ASは空気が読めないという情報が先行していますが、聴覚認知能力障害と2つのことを1度に思考できないことが空気の読めなさを形成しているのではないかと想像します。(想像しただけなので過剰反応しないで下さい)
 
 このブログ内では色弱を取り上げたことがありますが、色弱といい難聴といい、全盲や聾の方が困難が大きいとわかっていても、障害者手帳の交付されない、健常者の社会で生活している、ちょっとした配慮でいいのに誤解を招きやすい種類の「困難」に惹かれてしまいます。
 
 
 9月16日の記事。「あわせて読みたい」(この話題ばっかり)に表示されるブログはよく入れ替わります。意外と安定しないものですね。一期一会。